安倍晴明の生誕伝承地、阿倍野。 平安時代以来の時の流れが、 晴明ゆかりの地と交わり、 訪ねる人を陰陽師のロマンに誘う。
阪堺電車の東天下茶屋駅からもと熊野街道を南に歩くと、道沿いにこんもりと緑の木立が見える。安倍晴明(あべのせいめい)の生誕地と伝えられる安倍晴明神社である。晴明の活躍の舞台となったのは平安京で、陰陽師(おんみょうじ)がブームになってからは京都の晴明神社が観光スポットとして有名になったが、阿倍野の方もこの三、四年の間に足を運ぶ人がずいぶん増えた。
阿倍王子神社。
しかし、さすが安倍晴明の地元である。ブーム到来より数年早い一九九〇年に、安倍晴明公顕彰会を結成し、阿倍野生まれの安倍晴明をアピールした人がいる。郷土史家の猿田博さんだ。
「安倍晴明神社は昔からの名所です。寛政八年(一七九六)の『摂津名所図会』には、境内に安倍晴明誕生地と記した石碑、晴明が産湯を使った井戸、晴明の母の葛の葉狐を祀る稲荷社、それに孕み石が描かれています。孕み石は葛の葉狐が晴明をここで産んで健やかに育てたという伝承から妊娠、安産を願う人たちの信仰を集めたのでは」と猿田さん。顕彰会の会長であり、晴明ブームの影の仕掛け人である。
江戸時代の安倍晴明神社。『摂津名所図会』より。
安倍晴明神社の創建は寛弘四年(一〇〇七)と伝えられ、幕末に社家の没落とともにさびれてしまったが、一九二一年に阿倍王子神社の末社として復興が認可され、二五年に現在の社殿が竣工した。しかし、そのころは地元でもここが安倍晴明の生誕地と伝えられていることを知る人は少なく、関心を持つ人も多くなかった。安倍晴明顕彰会では猿田さんを中心に、神社の社殿に占いコーナーを開設、日替わりで占い師を招いたり、晴明ゆかりの場所を歩くツアーを企画するなど、さまざまな活動を続けてきた。ブームに火をつけた漫画『陰陽師』の作者、岡野玲子さんも来社し、秋に神社で行われる晴明祭には参加したこともあるという。現在の会員数は約六十人。晴明の命日から千年目にあたる二〇〇五年には、安倍晴明神社で千年忌が開催される予定。
「神社の社務所も建て替えられる計画ですので、その時には盛大なイベントをやろうと思っています」
猿田さんもその日を楽しみにしている。
安倍晴明神社で四柱推命、家相などの占いをしている竹村祥甫さんも一言。
「十年前に占いコーナーができた時から来ていますが、初めのころは参拝の方が少なくて。目に見えて増え始めたのは三年ほど前からで、今は女性も男性もすごく多いですね。東京など遠くからでも来られます。最近多いのは、なかなか結婚されない子どもさんを心配して、親御さんが来られるケースです」
赤、紺など、5色の願掛色御幣。さて、晴明への願い事は何だろうか。
安倍晴明神社社殿に設けられた占いコーナーは、四柱推命・気学・タロットカードなど、毎日占い師が変わる。よく当たると評判。
これも世相の現れだろうか。厄祓いなどの依頼も多く、神社では晴明のお守りがよく売れるという。
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