log osaka web magazine index
 
源聖寺坂   高津神社
浪花百景 高津
(大阪歴史博物館蔵)
 上町台地は、ほとんど「落語の国」のようである。高津さんから天王寺まで、落語の風景がそこここに残っている。高津神社の絵馬堂を下りた所には『いもりの黒焼き』の店があったという。植木に水をやるご近所のおばあさんが、ここよと教えてくださった。下寺町には、落語の中の架空のお寺、その名も絶妙なズク念寺がある(?)。大きなイチョウの木が目印で、入ると左右に鶏頭の花が真っ赤に咲いている……そんな寺でめちゃくちゃ簡単に坊主になった男、実は名前も覚えられない忘れんぼだったというのが『八五郎坊主』だ。辺りは寺ばかりが並び、空がやけに広い。まさに浮き世離れした界隈である。
 四天王寺の五重塔を見ると『鷺とり』の男がてっぺんにしがみついているのを思い浮かべる、などという人はいないだろうか。捕まえた鷺と空を飛んでしまった男である。昔の人はあんな荒唐無稽な発想力を持ち合わせていた。アラビアンナイトも真っ青だ。『天王寺詣り』は犬の供養に引導鐘をつきに来る噺。威勢のいい物売りのかけ声は、お大師さんでも今はあまり聞けないが……。西門前は『一文笛』(桂米朝作)に登場する。
浪花百景 四天王寺
(大阪歴史博物館蔵)
 『天神山』の舞台もこの近く。一心寺で墓見酒をした男が運良く(?)美人の幽霊を嫁はんにもらい、真似て隣の男も行くが見つからず、向かいの安居神社の天神山へ。そこで、狐を助けて、この狐が女房になり……という筋だ。以前、故桂枝雀さんがこの噺をした折、狐を捕らえて黒焼きにするという男に「逃がしとくんなはれ、可哀想でんがな」と本気で怒り泣きそうになったのを見たことがある。忘れられない高座。石塔がずらりと並ぶ一心寺の墓も森のような安居の天神さんもしーんとして、そのまま落語の情景を見せてくれる。
一心寺

 日本橋は『宿屋仇』、宗右衛門町は『親子茶屋』などミナミの繁華街もまた、さまざまな落語の舞台。今は静寂も暗さも縁がない三津寺筋を歩いて『豆狸』(三田純市作)がいたのを想像するのは難しいかもしれないが。

宗右衛門町

 では、最後にとっておきの落語散歩の場を。大阪市立住まいのミュージアムの近世の大坂フロアである。ここは古典落語の風景を真空パックしたような町空間が広がっていて「へーい」と丁稚の定吉のいい返事が聞こえるような商家や、お松っあんが亭主の喜六に「ぼさっとせんと早よ行きなはれ」とぽんぽん言っているのが見えるような裏長屋がある。イメージとダブる妙なデジャヴ体験を味わいつつ、そのリアルさに長屋の一軒に入るとき思わず「おじゃましますぅ」なんてあいさつしていたりする。「ま、こっちい入りいな」とはだれも言ってくれないけれど……。

 
 
おなごがほれてくる工夫を甚兵衛さんに尋ねた喜六。「イモリの黒焼き」の雄を自分の身体に付け、雌をほれた米屋の娘に振りかければいいと聞き、高津の黒焼屋でイモリの黒焼きを買う。ところが、雌は娘ではなく積んであった米俵に……。ヒョッコヒョッコ、追いかけてくる米俵。逃げる喜六。「苦しい!」「何がそんなに?」「飯米(はんまい)に追われてまんねん」

極道ばかりする若旦那に、父親が意見をするが、息子は全く相手にしない。実は息子より数段遊び人の父親、宗右衛門町の茶屋で、扇で目隠しをして狐つりという遊びを始める。同じようにミナミへやって来た息子、ふと狐つりが目に入る。「粋な人にあやかりたい」と、目隠ししながら座敷へ。さんざん一緒に踊り回った後、目隠しをはずすと「あ、お父っつあん」「せがれか。……必ずバクチはならんぞ」

大部屋役者の市川右三郎は、いたずらをしてきた豆狸を仕返しに痛め付けた。豆狸はイチョウの葉を金に変えて、右三郎の母親のところへ貝殻に入った膏薬を買いに通う。ある日、三津寺の境内で貝殻を身体じゅうに付けた豆狸が発見される。哀れに思った右三郎は経をあげてもらう。豆狸の死骸の上にイチョウの落ち葉が。「狸の仲間から、ぎょーさん香典が届いたがな」
金もうけに鷺をとることを思いついた男が、夜中に北野の円頓寺へやって来る。寝ている鷺をつかまえて身体にくっつけたところ、目を覚ました鷺がいっせいに羽ばたき、男も空中へ。飛んでいるうちに取りすがったのは、天王寺さんの五重塔。塔のてっぺんに人がいるということで、「えらいこっちゃ」と大勢の人が天王寺さんへ押しかける……。
やまだりよこ フリーライター
桂米朝、故・桂枝雀の落語を聴いて上方落語の大ファンになり、月に十回以上、落語会に足を運んでいる。九九年より日本経済新聞で落語評をレギュラー執筆中。

←back [ 3/3 ]