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西船場・堀江建築MAP
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船場の西に広がるのが西船場。
その南が堀江である。(CLICKで拡大)
 大阪は、水の都、いわれます。そん中でも、一番水辺の風景が豊富やったんが、西船場でしょう。西船場とは、西横堀以西、木津川以東、土佐堀川を北端に長堀を南限とする地域で、現在の西区東北部に当たります。四周を川と堀割に囲まれ、域内に江戸堀、京町堀、阿波堀、立売堀、海部堀、薩摩堀等の堀割を擁し、発達した水運を誇った西船場には、大きな船問屋・船宿がぎょうさんありました。せやけど、堀割は、今はみんな埋められてしまいました。
滑稽浪花名所 解船町
(大阪歴史博物館蔵)
 有名な雑喉場の魚市や靱永代浜の塩干魚市など、市場もありました。その近くには関連する問屋はんも多かったんです。西横堀に面したあたりには、瀬戸物を扱う商売人さんがずらっと並んだはりました。今でもその一部は「瀬戸物町」として知られてます。土佐堀川南岸と江戸堀の両岸には蔵屋敷もありました。蔵屋敷には、庶民との接点も意外とあって、白子町にあった松江藩蔵屋敷の鎮守の稲荷社は、疱瘡を軽うしてくれはる神さんとして有名やったんです。蔵屋敷の面影を残すもんも、もう、ありませんなぁ。
浪花百景 長堀財木市
(大阪歴史博物館蔵)
 西船場には、職人さんもようけ住んだはりました。例えば、「解船町」と呼ばれた奈良屋町の東部。古船を解体した古材で、桶なんかを作ったはったんだす。冬場なんか、川岸に立てかけられた古材に雪の積もった景色は、まるで山水画みたいで、そらきれいやったいいますけど……、あーあ、これじゃ風流も台無しやわ。長堀沿いの材木浜の岸にも材木が立ち並び、堀には材木がようけ浮かんで貯木場みたいでしたわ。長堀は埋め立てられてしもたけど、長堀通り沿いには大阪木材会館があって、北堀江の長堀通り寄りには木材を扱う店がまだぽつぽつあります。
 西船場に水運が発達したんは、元和から寛永前期(一六一五〜一六三〇年ごろ)にかけて西船場の土地が造成されたためです。低湿地やった西船場の土地造成には、ようけの土砂が要りましたんや。地面を掘って土砂を調達して、その結果、堀割ができたんです。

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