昭和30年5月5日、こどもの日に、 旧庁舎塔屋に設置された。
 
 青少年の非行が問題になりはじめた昭和30年。大阪市地域女性団体協議会は「世の母親の代表」である自分たちが、子どもたちの健全な育成のために何かできることはないかと議論を重ねた結果 、夜10時になると家に帰るよう気づかせるような物をつくることになった。最初はサイレンにしようという案もあったが、戦争のイメージがあるため、もっと優しく美しいメロディが流れる鐘をつくることに決定した。そして製作費を集めるために「愛の鐘の運動」として募金活動を行った。  当時の大阪市の行政は22区。1区につき10万円を目標に1口20円の募金活動を行ったところ、財界や市民の寄付も含めて300万円という大金が集まった。うち200万円で富山県高岡市の老子製作所に洋鐘の製作を依頼。この鐘はシンボルとして活用することにし、残りの100万円でメロディの流れる発声装置を取り付けた。ちなみにメロディはかの有名なウェストミンスターの鐘の音がモデル。 完成した鐘と発生装置は昭和30年5月5日(こどもの日)に大阪市に寄贈され、以来、大阪の街に午後10時を知らせている。さらに同協議会では平成元年の結成40周年を記念して、全ての区で鐘のメロディが鳴り響くように「みおつくしの鐘発生装置」24台を市に贈呈。鐘本体は、現在、年に一度だけ、成人の日を記念して市長と新成人の手によって打鐘されている。
 
  「みおつくしの鐘」を製作した老子製作所は日本有数の梵鐘の専門メーカーで、寺院の釣鐘のほかカリヨンや銅像などの鋳物も手がける。
  昭和33年の成人の日から、毎年、市長と各区の代表(1区につき3人ずつ、計72名)の手によって、成人(20歳)を迎えた喜びと母への感謝の心を込め、20回打鐘されている。