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+ 小島剛(こじまたかし)

大阪在住の音楽家。主にmacintoshとプログラミングソフトmaxを使って即興音楽を中心に国内外で活動中。

+ 塙狼星(はなわろうせい)

1963年生まれ。人類学を専門とするアフリカニスト。中部アフリカの旧ザイール、コンゴ、カメルーンが主なフィールド。アフリカの踊りと音楽をこよなく愛する。

Oct 2003 1:20AM from 塙 狼星 ノリと秩序

 塙さんにお知らせすることが一つあります。

 すでに友人経由でお話は伝わっており、塙さんからも別件メールでご存じのようですが、実は7月に出演したMIMIフェスティバルのコンゴ版”MIMI-south”の一環で行われるコンピュータミュージックのワークショップにスタッフとして、11月にコンゴに行くことになっていたのですが、これが先月初めにキャンセルの連絡があったのです。その1週間後には、2月下旬に延期する旨の連絡が入り、現在では延期ということで落ち着き、来年2月下旬に行くことになりそうです。しかもプロジェクトの規模縮小により、結局、自費で参加することになりました。もちろん、おもしろそうだから進んで参加しますが、少しがっかり。
 しかし、塙さんもなんかその時期、もしかしたら時間が空きそうだということも聞きました。MIMIフェスティバルのオーガナイザーにも、このプロジェクトの事を話したら、是非、塙氏を紹介して欲しいと言われましたし、この際、一緒に行きませんか?

 ところで、前回のメールの中で「国家」ということでいろいろ教えていただきましたが、その話と関連して、即興演奏における国家モデルについて少し書いてみたいと思います。
ジョンゾーンという有名なミュージシャンがいるのですが、彼は80年代に「コブラ」と呼ぶ集団即興のためのゲームピースを考案(作曲?)しました。
それは、ゲームピースと呼ぶだけあって、まるでゲームをしているかのように演奏する手法なのですが、従来のやり方ではないある特徴を持っています。
その話は後ほどするとして、集団即興演奏というのは極めて難しいモノです。
 例えば2人で即興演奏をする場合、そのやり方は常に相手を音の基準のどこかに置くことでその演奏は進行していきます。相手に反応するか、しないか、相手の音に付け加えるのか、相手が自分の音に加わるのかを考えながらいろいろ音楽として展開していくわけでその音の相互関係性があるにしろ、無いにしろ、とにかく何らかの関係性の意味づけを演奏者、リスナー共々勝手におこなってしまうことで成立してしまいます。その関係がいろんなバランスの下で結果的に面白い演奏なのか、そうでないのかを判断することになります。
 ところが、これが4名以上の人数で行うとその関係性は非常に曖昧になってしまいます。ある演奏者の音に反応していたとしても、もう一人の人が完全に別の方向を見ていると、その音の関係性は結果的に反応していない状態として見られることもありますし、全体のバランスや関係性を見ていくにはあまりに視点が多くなり、結果的に全体をぼんやりと見る以外にそのアウトプットをみることができなくなってしまうわけです。
 で、その結果、より細かい部分での音の関係性を見えやすくするために、その場の音を仕切る立場の人間が出てくることで、ある程度の秩序をもって演奏することが求められることになるのです。それは例えばあらかじめ演奏方法や役割を指定したりする方法や、コンダクターと呼ばれる、指揮者の役割をもつ人物が、即興的に誰がいつどう演奏するのかを指定して演奏する場合などがあります。
 で、ジョン・ゾーンが考えた即興演奏ピースですが、指揮者による即興演奏のコントロールで全体の関係性を持たせる形で演奏されます。通常は8人〜10人以上の大人数で行われるのが面白いのですが、ちょうどオーケストラの形態で指揮者と演奏者が座っています。指揮者(プロンプター)はあらかじめ奏法や演奏形態を指定した数枚のカードを使って演奏を進めていきます。で、その際に指揮者に演奏指示の要求を、演奏者が指揮者にサインを出すことで展開のきっかけがおこり、それに指揮者が最終的に同意し、カードを演奏者全員に示すことで、このゲームピースは進められていくという手法で演奏が進められていきます。
 つまり、指揮者は自分の思い通りにしながらも、演奏者の意見を聞いてそれが納得できれば指揮者はその意見に従うという極めて民主的な手法での演奏方法であるといえます。これでも、単なるプロンプター独裁の演奏よりも十分おもしろいのですが、それ以上におもしろいパターンが「ゲリラ」という存在にあります。「ゲリラ」は、指揮者のコントロールからゲリラ的に抜け出て別の演奏を無理矢理押し込むことができるという制度で、そこに「ゲリラ」となった人は即興的に自分が傀儡指揮者となって演奏を支配することができます。ただし、最終的にはメインのプロンプターが首を切るジェスチャーをすることによって死んでしまうわけですが、その展開を指揮者の範疇から抜け出て、突如出現させることでその後の演奏の雰囲気をガラリと変えてしまうほど影響力をもつわけです。
 これはあくまでゲームピースなわけですが、プロンプター独裁ではおもしろくないし、演奏者の要求にプロンプターが耳を傾けることでより柔軟性を持たせることができる上に、その状況を一変させる「ゲリラ」の存在がより即興演奏を面白くさせる要素として存在しているのは、やはり即興演奏では安定を求めてしまうと(特に演奏の難しい集団即興演奏では)そのマンネリに陥りやすいことを如実に示しているわけです。マンネリでは演奏者もフラストレーションを溜めてしまいますからね。
 もちろん、「ゲリラ」の大出現というのもあるわけで、大阪のミュージシャンがこの「コブラ」を演奏すると「ゲリラ」が頻発し、それが結果的にマンネリ化を生み出し面白い演奏ではなくなるという興味深いエピソードも在ります。

 先日、フランスで演奏したPACJAPというチームもこのゲームピースの思想を参考にしましたが、結局我々にとってのゲリラは演奏の中にあったのではなく、テクノロジーがゲリラであったことは、今から考えると面白い経験であったと自分で考えてしまいます。

それではまた。

kojima

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