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2003 11:22AM from 塙 狼星 まだ見ぬキンシャサ。 |
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まずは、MIMIフェスのオーガナイザーであるフェルディナン氏の記事に関するメールについて、
少し考えたことを話します。
マルセイユの音楽NPOのネットワーク的な活動については、小島さんの話を通じて興味を抱い
ていたのですが、今回の発言から、その知的バックボーンを知ることができました。ぼくは、
良かれ悪しかれ、音楽を独立した芸術的ジャンルとしてみないで、状況に埋め込まれたものと
考える性癖があります。これは、「音楽」という概念をもたない、伝統的なアフリカ社会と
接する中で培った見方だと思います。歌詞を持たないアカ・ピグミーのポリフォニーとポリ
リズム、リズム楽器にのせた儀礼や身体パフォーマンス、韻律豊かな語りや太鼓言葉、盛況な
都市のディスコなど、アフリカの音楽的表現は、祝祭性と相互性(交通)という特徴をもって
います。交通とは、単なる情報伝達というよりも、身体を通じた人と人、人と自然、人と神
の間の対話を意味します。フェルディナン氏の心と身体の個人史は知りませんが、キンシャサ
でMIMIをやろうとすることに、彼のアフリカ的感性、あるいは、音楽性を感じます。
以前にも書きましたが、ぼくは、アフリカの地方の文化を研究してきました。それはおそらく、
高度成長期に育ち、「経済」と「開発」という名目で切り裂かれていく森や山、景観を無視し
て立ち並ぶコンクリートの建物、日常のさりげない対話や助け合いの喪失といった、唯物化す
る日本社会の自閉性に強い反発を感じたからだと思います。ただ、アフリカ社会もグローバル化
に連動して、経済破綻や地域紛争などの様々な矛盾や葛藤が生まれ、牧歌的にアフリカ文化を
礼賛するという楽観論は通用しない時代になったようです。ある経済学者は、アフリカの可能
性を、都市の市民社会の発展にみています。フェルディナン氏の活動は、このようなアフリカの
時代状況にリンクしているように思えます。キンシャサでのフェスティバルがしばらく延期に
なったと聞きましたが、残念です。是非実現してもらいたいし、その場に参加してみたいと思い
ます。
とりあえず。
はなわ
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