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+ 小島剛(こじまたかし)

大阪在住の音楽家。主にmacintoshとプログラミングソフトmaxを使って即興音楽を中心に国内外で活動中。

+ 塙狼星(はなわろうせい)

1963年生まれ。人類学を専門とするアフリカニスト。中部アフリカの旧ザイール、コンゴ、カメルーンが主なフィールド。アフリカの踊りと音楽をこよなく愛する。

Nov 2003 9:10PM from Takashi Kojima 市内某飲み屋にて

というわけで、実際に塙さんと会いました。

彼は現在、大阪市内に住んでおり、阿倍野に住む僕ともかなり近かったんですが、久しぶりに会って酒をのみながらいろいろおもしろい話をしたので、今回は少し趣向を変えて、ちょっとその時のおしゃべりの一部を入れてみようかと思います。(小島記す。)
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11月市内某飲み屋にて。

塙:小島君、ひさしぶりやね。それにしてもコンゴ行きがなくなって残念やねえ。

小:結局、11月って言ってたのが3月になり、それが来年の7月以降になってしまったんですが、残念だけど、しょうがないですわ。いずれにせよ、また来年に行けるかも知れませんし・・・。

塙:小島君が行く予定でこの企画がスタートしたのに、これじゃ、アフリカに行ってミュージシャンとしての小島君がどう変わっていくかを僕がレポートするということが出来なくなるし・・・。

小:まあ、そうは言いながら、いろいろ少ない回数ですが、アフリカの事情について勉強できたんじゃないですかね。僕自身、行くつもりで政治情勢とかバックグラウンドとか勉強になりましたよ。logの読者も喜んでるんじゃないですか?

塙:それはちがうでしょう。そんなん書いても、読んでる人はそれだけだったら、全然おもしろくないでしょう。小島君がコンゴに行くことを前提とした前振りだったわけだから、最初は良かったけど、行かないとなったらそれは意味が違ってくるよ。

小:と言ってもしょうがないですし。いずれ来年にでも行くわけですから、そのときにこっそりlogのページで報告できればいいんじゃないですかね。今回の掲載期間内では無理ですけど。

塙:誰か大阪で音楽やってるアフリカ人と会って、その人と対談しようか?

小:それはどうやろか?おもしろいかなあ・・・。

塙:今、コンゴ人は大阪にはたぶん学生も含めてほとんどいないのだけど、カメルーンの人なら知ってる。三味線の名取りになった人で、ワッシーさんというカメルーン人なんだけど、彼とかと話したらおもしろいんと違うかな?とは言っても彼とは、もう10年ぐらい会っていないけど・・・。

小:カメルーン人で三味線の名取りですか?なんでまた日本にやって来て三味線なんですか?意味がわからんです。

塙:まあ、彼はいろんな意味でアフリカ的な人だよ。元々、兄弟の影響もあってドラムを叩いていたようだが、日本に来てから急に三味線を習いだして、それから・・・(と、その習得過程において良い意味でも悪い意味でもホントにアフリカ的なエピソードを教えてくれましたが、ワッシーさんは日本に住んでいるし、webページとして文章に残ってしまうのでここではそのエピソードは割愛します。彼についての詳しいことは”ワッシー”、”カメルーン”などで検索してみてください。注 小島)

小:彼は三味線のどこに惹かれたんでしょうかね。

塙:例えばアフリカや東南アジアの音楽って聴く?

小:リンガラポップやアフリカの音楽は大学の時に良く聴きましたよ。東南アジアのガムランは今でもCDなどで時々聴きますね。ただ、実際に現地で体験した話を言うと、僕が行ったミャンマーとかだと、街で音楽は聴いたことがないです。唯一あるとすれば台湾の田舎町でバスに乗り込んできた酔っぱらいのおっさんが鼻歌として唄ってたのは明らかに台湾の民族歌謡でこれはとても印象に残っていますね。エニグマがサンプリングて使ったネタそのままでしたもん。(注 エニグマ:90年代初頭にヒットした、民族音楽とアンビエントテクノを似非ミックスさせた退屈な商業的ヒーリングサウンドユニット)

塙:そういう体験って、実は東南アジアでは、バナナの研究で行ってもあまり無いんだよね。アフリカ行くと、もうとにかく街で聞こえる音楽が、身体性を伴っていて、リズム主体の音楽性も相まって、所謂「むき出し」な感覚で、それが興奮したんだけどね・・・。でも台湾でそんな体験できたのはいいねえ。

小:そういう衝撃的な出会いなんですかね。彼が三味線に惹かれたのも結局そういう理由なのかな。

塙:まあ、それはあるけど、彼が日本でずっとやっている理由は、その考え方が良い意味でも悪い意味でも極めてアフリカ的なところ。なーんにも考えずに、すぐにそこに馴染んでしまう。それでいろんな人にいろんな影響を与えているんだけど、そんなん関係ないって感じで・・・(これ以上は、いろいろ個人的な事になるので割愛します。)
でも、日本でもインド音楽とかアフリカンドラムとかガムランとかやっている人とかどう考えてるのかな?

小:僕は基本的に信用できないです(笑)。それを習得するまでの社会環境や生活環境が違うし、結局のところ、日本人だとその国民性として、そのテクニックを真似するしかできないでしょう。その風土で生まれた古典を、趣味でやるのは結構だけど、日本人が日本でお金を取って人に見せるものではないと思う。まず見た目が「似非」(笑)。そこから、まずダメ。それならきちんとアレンジするとか、異文化を知る上での外国人としての吸収の仕方を考えるべきだと思う。

塙:そうなんだよね。これだけ外国との交流が盛んだと、日本人が外国の古典をやって受ける時代はもう終わっているよ。それにしても大阪は打楽器が盛んだよね。ジャンベとかガムランとか。

小:ジャンベって、アフリカでは元々どういう用途なんですか?あれは通信用?

塙:いや全然違うよ。祝祭の時に使うれっきとした楽器。通信に使うのはトーキングドラム。ジャンベだと何キロにも渡ってあの音は聞こえないでしょうに。

小:なんでその話かというと、大阪で打楽器屋を経営している人がすごい音をジャンベで出すんですよ。それを聴いたとき、「これは通信用の楽器なんだ」って勝手に理解してしまうぐらいすごい音で、しかもその人はアフリカに行ったことがない(笑)。すべて自己流で習得したらしい。勝手に叩いてたら、実は楽器の本質すら変えてしまうほど、すごい事になってしまった。それでアフリカの音楽をやっているのかと思えば、やっていることはジャズ。

塙:アフロミュージックではなく、ジャズかいな。それはええ話やなあ・・・。結局、コンゴでも実は同じ事が起こっているよ。伝統音楽とか、所謂少し前に流行ったリンガラポップとか、そこで止まっている未知の場所ではないのよ。なーんにも考えずにやっていくから、その後のシーンは勝手に自己流の音楽が出来上がってきている。70年代から80年代に海外とのつながりも一度あったし、そのコミュニティはパリ-キンシャサというルートで今ではすっかり出来上がっている。ただ、今は政治が不安定で、国自体が貧しいため、音楽どころではない故に目立った新しい動きは見えないけれど、そのベースはすでにできあがっていて、あとはそこから浮上するだけの状態。そこにポンッと何かを入れてやると、それが変化を起こすのは実は欧米と同じ感覚だと思うよ。これからは音楽もそんな展開をしていかないと、絶対に面白くならないよ。土着のものばかりやっててもダメ。もうそういう時代だからね。だからそこに目をつけてわざわざそんな国家の状態で音楽フェスティバルを企画するフェルディナン氏は非常に興味深いと思うわ。

小:なるほどね。政治的に不安定で、おそらく音楽どころではないといいながら、それでもやろうとしている人はきっといるわけで、そういう人になんらかの提示をすると、もしかしたら新しい音楽が生まれてくるかも。そう考えると絶対的に面白いですね。ワクワクしてきますわ。

塙:コンゴは不安定といってもイラクほどではないし、特にキンシャサは追いはぎもそんなにないと聞いている。ただ、日本人は企業の人はおそらく誰もいなくて、外交官と宗教関係者ぐらいだけど。

小:じゃあ、やっぱり危ないんじゃないの・・・。
(と、こんな調子で飲み続けるのでした・・・。)

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