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+ 小島剛(こじまたかし)

大阪在住の音楽家。主にmacintoshとプログラミングソフトmaxを使って即興音楽を中心に国内外で活動中。

+ 塙狼星(はなわろうせい)

1963年生まれ。人類学を専門とするアフリカニスト。中部アフリカの旧ザイール、コンゴ、カメルーンが主なフィールド。アフリカの踊りと音楽をこよなく愛する。

Dec 2003 6:07PM from 塙 狼星 ピグミーの話

小島 さま

こんにちは。寒くなりましたが、お元気ですか。師走とはよくいったものですね。ぼくは
、毎年のことですが、やり残した仕事を抱えてあたふたと過ごしています。今も、暖かい
アフリカの森の奥深くに住む「ピグミー」に関する文章を執筆中です。アフリカと大違い
の雪がちらつく日本の街で、「アフリカの日々」を思い出しながら筆を、いや、ワープロ
を連打しています。今回は、そのつながりで、「ピグミー」のことを話させてもらいます

「ピグミー」という民族は、日本で知っている人も多いと思いますが、中部アフリカの熱
帯多雨林地帯に住む狩猟採集民です。エジプト王朝時代から、「神の踊り子」として、そ
の歌唱力と踊りのすばらしさが知れわたっていたといいます。私は、コンゴ民主共和国
(旧ザイール共和国)で最初に彼らの歌声に接しました。ツワという地域集団です。

私が大学院時代を過ごした研究室は、アフリカの狩猟採集民研究で有名なところで、当然
、何人もの先達がいました。「ピグミー」たちは、背丈が低く、二重のくっきりとした目
をもち、童顔で、快活な人々です。不思議なことに、研究室の先達たちには「ピグミー」
に似た人が多かったなあ。いずれにしろ、その先達たちから「ピグミー」という人々と彼
らの文化のすばらしさを、いやというほど聞かされていたので、最初に「ピグミー」に出
会った時には、ドキドキしました。いま考えれば、このような感覚は「人種差別」かもし
れませんが、異文化にあこがれやロマンを抱くことは、悪くないですよね。

アフリカにいってから、前にお話したように、ぼくはまず東部ザイールの森林地帯に住む
バントゥ系のレガという民族を調査しました。この人たちは、知の獲得を目指す「秘密結
社」をもつことで、人類学者の中では有名でした。ぼくは、彼らが作った、シンプルだけ
ど生き生きとした仮面や木彫り、森の動物たちをちりばめた伝承に魅力を感じて、調査を
始めたんです。レガの神話では、母親が「ピグミー」ということになっています。

旧ザイールでは長年続いた独裁政権に対する政治暴動が頻発したため、ぼくは、隣国のコ
ンゴの森に調査地を変更しました。ここでも、アカという「ピグミー」に出会いました。
森の中で彼らの歌声を聞いたのは、アカが初めてでした。アカのキャンプに一泊した時、
夕方になると突如彼らの踊りが始まりました。「歌」といっても、彼らの「歌」には歌詞
はありません。それは声でした。ヨーデルと言えばいいのでしょうか。八分の六拍子を基
調としたポリ・リズムにのせて、女性たちは輪になって踊りながら即興でポリフォニーを
奏でていました。リズムは、森のカモシカの毛皮を張った太鼓から、弾かれたように飛び
出していました。しばらくすると、その歌声の中に、森から精霊が出てきて踊り出しまし
た。精霊といっても、もちろん、ヤシの若葉で仮装した人が踊っているのですが、初めて
みたぼくは、ただただ圧倒されるばかりでした。

後日、再び、アカのキャンプに滞在した折り、ぼくは、アカの女性たちが森の野生植物を
採集するのに初めて同行してみました。ラフィアヤシの繊維を編んで、大木の樹皮からと
った紅い染料で染めた腰蓑を身にまとい、同じく森の蔓を編んで作った小ぶりの篭を背負
い、素足で軽やかにあるく女性たちは、とても美しかったのを覚えています。女性たちだ
けの採集グループに、アカ語も話せない不格好な身なりの外人がくっついていたわけで、
彼女たちにはさぞ迷惑だったと思います。違和感を感じながら歩いていると、突然、一人
の若い女性が歌いだしました。それにつられるように、他の女性たちのアドリブの合奏が
始まり、一瞬にして森の中は声に満ちあふれました。様々な声が木の梢や枝葉に反射して
、まるでクラゲになって深海をただよっているような気分になったものです。

アカは、魅力的な人々でした。周辺の民族から「未開民族」として蔑視されることもある
彼らですが、初めて訪れた外人も笑顔で受け入れてくれました。もちろん、私たちの社会
と同じように、良い人も悪い人もいるし、明るい人も暗い人も、お喋りも無口もいますが
、どの人にも共通するのは、話すのはそんなに上手ではないけれど、踊るのはとても上手
であることでした。彼らは、身体で考えているようでした。即興的に身体を動かし、多彩
な音色とリズムを生み出すことができることが、彼らにとって最大の価値があるかに見え
ました。日本という均質な?空間で育ったぼくには、とびきり自由な世界に見えました。
「ピグミー」の踊りをみながら、ぼくはよく夢想しました。京都の今出川大橋の上で、満
月の夜に輪になって踊ったらすてきだろうなと。今になるまで、実現していませんが。橋
を通ると、そのことを思い出します。

ずっと昔に読んだ小林秀雄の文章の中で今でも鮮明に覚えているものに、当麻寺で薪能を
みた帰り道での想いを綴ったものがあります。彼は、能をみた後家路をいそぐ人々の雑踏
の中で、今目にした夢のような美しさを、どうして日常生活の中で持続できないのか、と
自問します。小林秀雄の表現と違い、ぼくのはいささか散文的ですが、アフリカの森で感
じたのは同じことでした。「ピグミー」がすごいのは、仲間がいるかぎり、いつでもこの
ような夢を様々な声を通じて再現できることです。能と「ピグミー」の踊りでは、形式も
歴史も異なりますが、いずれの場合も、音と音楽、身体と言葉、自然と文化、個人と社会
の境界を乗り越え、その上にたっているように思えます。感覚的な表現で悪いのですが、
このような原初的な感性と表現こそが、人間にとって大切ではないでしょうか。このよう
な感覚は、美学的というよりは宗教的な感覚に近いのかもしれませんが、ぼくの生き方や
物の見方に影響をもっています。

今回は、「ピグミー」の話でした。いつものように、とりとめのない話ですが、小島さん
のラップトップ・ミュージシャンとしての意見をお聴かせください。

はなわ

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