お米のカエルの誕生!
水戸芸術館での作品「お米の砂漠」では、床にお米を敷き詰めてその上を歩くようになっていたため、観客から非難や投書をいっぱい頂きました。その時に、「このお米は全部自分のお金で買ったもので、一粒も無駄にしません。捨てません。」と言っていたので、捨てるわけにはいかず、でも、虫が湧いて食べられなくなってしまった現実があって、「どーしよー」って困っていました。 ある日、かなり長い時間かけて虫を取り除き、ご飯を炊いて食べようとしたら、炊き上がったご飯にいっぱい虫がいるんです。 もう限界だなと感じて、炊いちゃったお米をおにぎりにでもして冷凍保存していこうか、真空パックにしようかとかあれこれ考えながら、「何かに変えていかなきゃなあ」と困り果てている瞬間、自宅(東京、葛飾区亀有の部屋)の窓からその日は珍しく夕日がきれいに沈んでいくのが見えたんです。ちょうど富士山のシルエットに夕日が沈んでいく。それを見ながらにぎっていたおにぎりを、ふと、「カエルにしたらどうだろう」と、その辺にあったビー玉で目を入れてみたりして。ちょうど沈む瞬間に出来上がって、ベランダに置いて、沈む夕日とカエルを眺めながら「カエルの誕生やー」ってやたらと感動して思いっきり涙を流してしまったのを覚えています。 その時「1トンのお米を全部カエルにしたらどうだろうか?」って。それで、計算好きな僕は、残りのお米でカエルが何匹できるか計算してみました。 ざっとはじき出された数字は3000個。
すごい数ですね...
会社を辞めてから、週3日働いて週4日お休みという生活をしていて、週に4日間働かずに自分のために時間を使うということは、その間お金を稼いでいないわけだし、時間というのがいかに高いか、マンション代も高いし、移動代もかかるし。何もしなくてもお金を浪費している感覚があったんです。不動産屋で勤めていたのもあって、ものすごく細かいことを計算する癖がついてしまっていて。 一つのモノを作ったら置く場所が必要で場所代がかかる。 3000匹のカエルを作って置く場所と、作るためにかかる時間を計算してみたら、とんでもなく贅沢なことをしようとしていると、いうことにはたと気付くんです。 しかも、仕事も辞めているしお金もないからね。 とてもじゃないけど出来ないなあと。
1,000万円
そんな時ちょうどジャパンアートスカラシップという公募を思い出すんです。 直径15m高さ15mの円筒形のスペースでの作品プランを提出して、書類審査が通ったらプレゼンテーションをして、グランプリを獲得すると、制作費1,000万が出て、東京の青山スパイラルガーデンで作品を展示するというのがあってね。 都市計画事務所で企画書の書き方も勉強したことだし、一般的な言葉での会話法も慣れてきたし、コンピューターやCGも使えることだし、1,000万あったら何か出来るかもしれないと応募することにしました。
33年後
その時僕自身33歳になろうとしているときで、初めての子供が産まれようとしていました。 たまたま僕が産まれたのも父親が33歳の時だったんです。 そういえば町や建物も30年くらいで変わっていくんじゃないかなと。 それで、33年後にどういう社会になっているのか?当時、1992年だったので、33年後の2025年に、自分の子供が33才(そのときの自分の年)になった時どういう環境の中で、どういう生活スタイルで、どこの国で暮らしているのか?社会や地域、世界がどう変わっていくのか?という興味を持ち始めました。
「蓮の葉の増加の物語」
その頃気になっていたのが、青年海外協力隊の派遣前の研修の、国際協力に関する授業で聞いた「蓮の葉の増加のたとえ話」。 蓮の葉が毎年2倍2倍に増えていく話です。 例えば、1年間で1枚の葉が2枚に分かれて成長する蓮の葉があるとすると、1年後に1枚の蓮の葉は2枚になります。その次の年、それぞれの葉がそれぞれ2枚に分かれるので2年後には4枚の蓮の葉になります。その次の年には4枚の蓮の葉がそれぞれ2枚に分かれるので8枚の蓮の葉に。 そうやって増えてゆくと3年後8枚、4年後16枚、5年後32枚、6年後64枚、128枚、256枚、512枚、1024枚、2048枚と増えることになる。 例えばその蓮の葉がある閉じた池で成長しているとして、ある年に池の半分が蓮の葉で埋まっているとする。 まだ半分余裕があるので、まだまだ成長できるとさにあらず、次の年にはいっぱいになって、その次の年に蓮の葉は滅びてしまうという話。 実際に産業革命以降、それほどのスピードで人口は増加し、地球環境は急激に変化しているというのが授業での話。 その話は有名な話で、当時いろいろな人が新聞などにも書いていたんだけど、実はちゃんと計算していなくて、とんでもない数になることを知らない人が多いことに気付くんです。 じゃあ、とことん計算してみるかと。 で、実際に計算していくと33年後は約85億枚になるんです。54年後ぐらいに直径15cmの蓮の葉が地球全体を覆うぐらいの数に増える計算になります。 そんなことを計算している時、新聞で「33年後に85億人!」って書かれた記事に出会うんです。 蓮の葉の計算で「33年後が85億枚」という数字と、新聞でみつけた「世界人口が33年後に85億人」という数字が一致していて、「すごい大発見だ!」と興奮して! 「それに気付いているのは僕しかいない」と震えがきたくらい。 そういうことに出会った嬉しさや喜びはちゃんと表現しなきゃ、カタチにしなきゃって思い込んでしまうんです。
でも実は、後から考えると、たまたまその年に偶然重なっていただけで、なんの接点もなければ意味もなかったんだけどね。(1992年の段階で33年後に85億っていうだけで、次の年には32年後に85億人ということになる。)
会社で食糧問題を仕事で扱っていたことや、個人的に最初の子供が産まれるという時期でもあり、「このまま人口が倍増していくと、それに比例して、食糧や消費量が増大。ゴミや炭酸ガス、大気汚染や水質汚染も倍増し、飲料水、食糧、天然資源等も不足してくるんじゃないか。世紀末に向っているというのもあったんだけど、2000年以降、21世紀というのは、もしくは33年後、どういう社会になっているのか、都市、地域がどうなり、そこでどういう活動をしていくのか。」ということをまじめに考えていました。 いろいろな出会いも重なって、人口増加のシミュレーションをしてみようというのがスパイラルでのプランでした。
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