log osaka web magazine index
text
+ 山下里加
+ 細馬宏道(ほそまひろみち)
1960年西宮生まれ。滋賀県立大学人間文化学部講師。
会話とジェスチャー解析を中心としたコミュニケーション研究のほか、パノラマ、絵葉書、幻灯などの視覚メディアに関心をよせている。
主な著書に『浅草十二階』(青土社)、『ステレオ』(ペヨトル工房、共著)。訳書にリーブス、ナス『人はなぜコンピューターを人間として扱うか』(翔泳社)。
WWW版『浅草十二階計画』:
http://www.12kai.com/
親指記:
http://www.12kai.com/oyayubi.html
e-mail: mag01532@nifty.com
11/6(木) 1:15AM from山下 猫道の不在を思い出したら、最終回。

細馬さま
山下です。

おへんじ、ありがとう。
前回の私からのメールは、あまりにも個人的で人サマに読んでもらってよいものかと悶々としておりましたが、いやはや、さすがですね。「不在」について、細馬さんがこんな方向から考えていたなんて! きゃーうれしー。

細馬さんのお便りを読んでいて“思い出した”のですが、私は元々「不在」好きだったんです。
というより、「不在」に育てられたというか。
ピアノ教師としてバリバリ働く母は、毎日曜日に遠くの教室まで教えに行ってました。
日曜日の朝、2階で眠っている私の耳に、車のエンジン音が聞こえる。

ああ、お母ちゃんがいったんだな。
と思う。

日曜日の朝は、不在から始まるのでした。
今、思い返しても、いい育てられ方をしたと思います。

 

不在といえば、
国立民族学博物館の『2002年ソウルスタイル 李さん一家の素顔のくらし』
も、不在の展覧会だったんだな、と思うのですよ。

INAXギャラリーから出版された『2002年ソウルスタイルその後 普通の生活』のカタログに、私はみんぱくの展示についてこんなことを書いていたのでした。

『……再び靴をぬいで、李さんの家にあがった。ここには生活用品のすべてがある。だが、ひとつだけないものがある。使っていた“人”だ。当然ながら李さん一家は、
展示物には含まれていない。多分、設営が終わった段階では、最も大事な部分が欠
けた展覧会だっただろう。』

みんぱくのソウルスタイルは、人=李さんの家族がいない、それが一番大事なことだったんじゃないだろうか。
なのに、私はその文章の後に続けてこんなコトを書いてしまったんです。

『ところが、開幕したとたん、観客ひとりひとりが欠けた部分にすっぽりとはまって、勝手に“モノ”から“想い”を引き出し始めた。“想い”は、韓国の生活への好奇心に収まらず、李さんちの“モノ”に自分の人生や家族と重ね合わせて語られていった。その時、「ソウルスタイル」は初めて完成したのだと思う。』

うーん、今、読むとちょっと無理しているなあ。
展示を自分に引き寄せるために、観客である私自身のものにするために、こじつけたかもしれない。
確かに、テーマパークのように観客がすんなり入り込める展示だったし、物の面白さに夢中になれるけれど、
それで、簡単に充足されるようなことではなかったのかもしれない。
もっと、「不在」をしみじみ味わえばよかった。
日曜日の朝の、静かな台所のように。

ああ、そういえば。
どんどん思い出してきました。どうしよ。

大島弓子の漫画も、好きな作品は「不在」ものですね。
何年も繰り返し読んでいる。全然、飽きない。古くならない。
『つるばら つるばら』は、失われた家を探すお話だし。
『秋日子かく語りき』も、死んだおばさんが女学生の姿を借りて失われた自分の生を確かめにくるお話だし。

で、面白いのは、大島弓子のお話では、最後は、みんな不在を埋められるんですよ。
普通だったらつじつまの合わないことが、ラストで一気にまぜこぜにされる。

たとえば、『庭はみどり川はブルー』は、3歳の娘に死んだ母がとりついている設定で、ずっと母の語りで物語が進行していく。娘が生まれる前の記憶もある。
そして死んだ母は、
『ほんとは執着しているの 
 ゆきたくないの
 ここにいたいの』
と、3歳児の姿で切実な告白をする。

なのに、最後の最後にいきなり、
『あたしはあのころのことをよ〜く覚えている』
と、高校3年生になった娘が語るんですよ。

ええ? じゃあ、母がとりついていたワケじゃなく、娘の仕業だったか!
っって単純なオチじゃなくて、母と娘、死者と生者がごちゃ混ぜになって、大団円になるんです。

最初に読んだ時は、変な話だな、と思ったのですが、繰り返し読んでいると、ものすごく満たされた気分になることに気づいたんです。
何も失わなくていい。
幼年期と決別しなくても大人になれる。
細馬さんの言う

> その人はすでに自分の感覚を「思い出した」のだから、
> もう感覚の不在は報われたはずです。
> なのに、その不在さが過去に向かって追いつけないほど速く遠のいていく。
> 「あ、忘れていた」というときには、
> ただ思い出の温もりにひたされるのではない、
> なにか、とりかえしのつかないような感触が伴います。

「とりかえしのつかないような感覚」が埋められるからかもしれません。
現実ではありえないかもしれないけれど。
最高の少女漫画でしょう。

ところで、私が関わっている<アウトサイダー・アート>でも、この不在感がよく話題になります。
アウトサイダー・アートの作り手達側のことじゃなくて、彼らが作る物と彼ら自身を見るインサイダー・アートの人達が、自分の中の不在感に気づくんです。不在じゃなくて、喪失感かもしれないですが。

『この衝撃とは何だったろうか。それはたぶん、私が私の中の「ある欠如」に気づいたということではないかと、数年を経て思うようになった。…(中略)…彼の仕業は、私にとってまさにエクスタシー(自分でなくなること)の領域であった。私にもあり得たかもしれない、私も持ち得たかもしれない感覚。そして今は確実に持っていない、遠い遠いところに捨て去ってきた感覚。私はエクスタシーを放棄することで、一生懸命「自分らしさ」をつくってきたのだと気づいたのだった。』

『DNAパラダイス』(財団法人 日本知的障害者福祉協会発行)のまえがきにある、はたよしこさんの文章の抜粋です。

これ、読んだ時、私は、うらやましい、と思ったんです。
実は、私にはあんまり分からないんですよ。この喪失感が。おそらく自分が絵や立体物を作る人間じゃないからだと思うんですが。
いや、もしかして“なりたい自分”ってものがなくて、“なれる者にしかなれなかった”からかもしれないけれど。

どっちにせよ、私はアウトサイダー・アートに「自分に失われた何か」を見ているんじゃないな、と思うんです。
では、なんでそんなに一生懸命になっているのか、と問われると困るのですが。
うーん、多分、『ソウルスタイル』と同じく、自分をグシャンとつぶしてくれるもの、まったく新しき感覚と知性を開いてくれるもの、のような気がしているんですね。
変かな。変だな。

あ、『図鑑天国』見に来てください〜。
今日から小山田徹さんが設営に入りました。少ない予算で素敵な空間を作ってくれます。大阪成蹊芸術大学芸術学部スペースBにて11月23日まで。15日のトークショーには、特製お菓子付きです。
詳しくは、http://www.osaka-seikei.ac.jp で。
とまあ、自分の広告をさせてもらいました。

そろそろお別れの時です。もう締め切りは遙か彼方の過去に過ぎています。
編集部が泣いています。
でも、過去を見捨てて、未来へ。

忌野清志郎の歌う『スローバラード』も、思い出したんです。

「カーラジオからは、スローバラード。
夜露が窓に映っている。
何も悪いことが起こるとは思わなかった」

うろ覚えだから、正確な歌詞じゃないと思うけれど、こんな感じだった。
今、キヨシロウの年表を見ると、『スローバラード』の初発売は1976年だから私が小学校の時。だけど、ちゃんと聞いたのは、大学に入ってからだと思う。
で、当時、初めて出来た彼氏にむかって何気なく
「どんな悪いことが起こったんだろう」
とポツリとつぶやいたんです。
「え?」
と彼は聞き返し、私は上手く説明できなくて、会話は終わりました。

清志郎は、未来の不在を歌っていたのだと思います。
ロマンチックで甘い不在。
不在は、現在から、過去へ、未来へ、一気に広がっていく。
そんな「とりかえしのつかない感覚」だけをたよりに、ようやく現在を確かめられるのかもしれない。

『忘却論で解き起こす「東京物語」』を楽しみにしています。

<< back
TOP > 猫道を通って 日記を届けに。
Copyright (c) log All Rights Reserved.