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11/4(火)
9:26PM from細馬 猫道を忘れていた。 |
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細馬です。
10月はあちこちでお会いしましたね。
> “勉強会”いかがでした?
> 大夫のワークショップって私も初めてでしたが、難しいもんですよね。
> 声は出せるけれど、操るのは難しいなあ。もうちょっと、“声”を手や足みたいな道
> 具として意識すると出来るのかな。
> 細馬さんは、いかがでした?
いやはや、人前で義太夫節をうなるのは、想像以上に恥ずかしかったです。商売柄、人前で声を出すことじたいにはさしたる抵抗はないのですが、義太夫を歌うというのは、なんだかふだん出さない自分の趣味とか力の出し抜きを見破られるようで、とても恥ずかしい。
・・・などと書いておきながら、あの日、風呂で気がついたら義太夫節を歌っておりました。のみならず、風呂からあがって、飼い猫に「うろたえたかおシマどの」と呼びかけ、そういえばと思って、風呂で声を出すところからマクラが始まる志ん生の「寝床」を聞き直し、義太夫をきかされる小僧よりも、義太夫を唄いたがるダンナの方に愛着がわいたりして。いやはや危ないしわざです。
ところで。
山下さんからのメールが届いた日、どういう符丁か、ぼくはいつもメモをとっているノートに「不在」ということばを沢山書き付けていました。ちょうど小津安二郎の「東京物語」を見直していて、そこで表されていることについてあれこれ考えをめぐらしていたところでした。
「東京物語」については、すでにいろんな人がいろんなことを言っていて、とくに蓮実重彦の「監督 小津安二郎」が出てからは、小津映画の「不在」をあつかったり「解釈」するのはとてもかっこわるいことになりました。けれども、ぼくは、そういう風潮の中で、どうも見逃されている「不在」があるんじゃないかと思って、あれこれノートに書き付けてたんです。
(応挙展のあとでお会いしたとき、ヘタクソなスケッチがいっぱいかいてあるノートをお見せしましたが、あれです。)
あれこれメモを書き付けながら考えていたのは、「忘れる」ということの不思議さです。
「忘れる」とか「思い出す」ということを考えるときに、ぼくたちはよく、目の前にものがあるかないか、にこだわっているように見えます。たとえば目の前に差し出されたヒントを見て「あ、思い出した!」といったり、目の前に傘がないのに気づいて「あ、忘れた!」という。では、「思い出す」ことや「忘れる」ことに重要なのは、目の前のものごとの不在なんでしょうか。
たとえば、東京物語の冒頭にこんな会話があります。
とみは東山千栄子、周吉は笠智衆の役です。
とみ:空気枕はそっちに入りやあしたか。
周吉:空気枕はおまえに頼んだじゃないか。
とみ:ありゃあせんよ、こっちにゃあ。
周吉:そっちよお。渡したじゃないか。
とみ:そうですか。
(しばし、隣の細君との会話)
とみ:空気枕ありゃあせんよ、こっちにゃ。
周吉:ないことないが。ようさがしてみい・・・
おお、あったあった。
とみ:ありゃあしたか。
周吉:うん、あった。
まず、周吉は、あるはずの空気枕がないこと、つまり、あるべきものごとの不在には気づいています。しかし、彼はその原因を「自分が忘れているせいだ」とは考えていません。空気枕がないのは、とみが忘れているせいだと思っているのです。ですから、ハタから見た場合はともかく、周吉自身にとっては「忘れている」というできごとは発生していない。それどころか、「ないことないが。ようさがしてみい」と、とみを叱るように言います。
「おお、あったあった」と空気枕を自分の手元に見つけたとき、彼ははじめて、自分が自分でそこに置いたであろうことを「忘れていた」ことに気づきます。しかし、そのときはすでに空気枕は見つかったあとです。
「忘れる」ということが不在感とかかわっていることは確かです。が、どうもただの不在では足りない。目の前に空気枕がないからといって、それは別にわたしが忘れているせいとは限らない。それを「忘れていた」と感じるためには、目の前のものの不在感が、自分となんらかの形で結びついていなくてはならない。
どんな風に結びついているのか、それをきちんと確かめていくと長くなるので、ぐっとコンパクトに言ってしまうと、目の前のできごとが、自分の感覚の不在をよびさますとき、そしてその不在がいまこのときから過去に遡って感じられるとき、人は「忘れていた」というのです。
つまり、「忘れていた」とは、自分の感覚の不在に気づく、ということである。
「あ、忘れていた」というとき、その人は、「あ、思い出した」ということを
裏から言い当てている。自分の感覚に気づくことが「あ、思い出した」だとすると、じつは思い出した現在から過去に向かって、自分の感覚の不在が一気に広がっていくのが
「あ、忘れていた」です。
その人はすでに自分の感覚を「思い出した」のだから、もう感覚の不在は報われたはずです。なのに、その不在さが過去に向かって追いつけないほど速く遠のいていく。
「あ、忘れていた」というときには、ただ思い出の温もりにひたされるのではない、なにか、とりかえしのつかないような感触が伴います。
なんだか山下さんのおじさんの椅子の話を読んだら、この話が関係ありそうな気がして書いちゃいました。すいません。思い出の話を読んで忘れる話を書くなんて。
記憶を考えようとして、思い出すことよりも忘れることのほうについ注意が向いてしまうのは、ぼくが、思い出すことよりも忘れることが得意なせいかもしれません。じつによくものを忘れるのです、むかしから。
いま、「東京物語」を忘却論で解き起こす文章を、どこに出すというアテもなく書いております。いつか書き上がったらお見せしますね。
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