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けったいな縁で大阪
 今、私の住んでいる上町台地は、大阪のほぼ中央。ここは、太古からの陸地で、北は大阪城、南には四天王寺がある。時々、「なぜ大阪なのですか?」と聞かれることがある。田舎育ちの私には正直言って、ちと住みにくい街、大阪。なのに、どうしてここを住処と定めたのだろう。

 私の出身は岡山県倉敷市。幼い頃は、実家が真言宗の寺だった関係で、高野山で過ごした。その後、倉敷に戻って高校までをのんびりした瀬戸内の気候の中で育ち、大学時代を筑波山の麓で送った。能楽(能・狂言)に興味を持ったのは高校の頃で、大学では単位ギリギリになっても能楽堂通いをやめられなかった。よく卒業させてもらえたものだ。学校が筑波にあるのだから、当然、東京の能楽堂(それでも片道2時間かかった。)が中心なのだが、東京、名古屋、京都、奈良、大阪、神戸まで、心惹かれる催しがあれば出かけて行った。そうこうしているうちに、神出鬼没の若い娘の顔を、役者の方々が覚えてくださるようになり、今の「能楽ライター」という仕事に繋がっている。

 人と人の縁は不思議なものだとよく言うが、考えてみれば、土地との縁も不思議なものだ。同じ関西なら、奈良の大らかさにも憧れるし、京都に行けば、必ず見える山の緑に心が落ち着き、ちょっと歩けば私の大好きな能にかかわる風景に出会えるのが嬉しい。なのに、なぜ大阪だったのだろう。

 神出鬼没を繰り返しているうちに、あれは大学卒業前であったか、名古屋は熱田神宮の能楽堂で、小鼓の先生から「あなたと気が合いそうだから」と、ある女性を紹介された。聞けば大阪天満宮の前で小料理屋をなさっているという。その時は単に帰り道をご一緒しただけの出会いが、私が卒業後に転がり込んで居候させてもらい、晴れて(?)独立してからも、本当に迷惑のかけどおしなのに、変わらず親身になって心配してくださる、一生のご縁になった。

 その小料理屋(仮に「T」としておく)の常連さんで、元NHKプロデューサーの棚橋昭夫さんの著書が『けったいな人びと‐ホンマモンの芸と人‐』(浪速社刊)である。(ちなみに、表紙の題字は、「T」の女将が割り箸で書いたもの。)

 桂米朝さん、織田正吉さん、永六輔さんという、壮々たる顔ぶれが帯に推薦文を寄せるこの本の中には、藤山寛美さん、笑福亭松鶴(六代目)さんなど、今は亡き芸人さんや作家、放送現場に生きる人たちとの交流と、そのエピソードが綴られている。そこに取り上げられている25人の中で、存命中を私が知っているのは、片手ほどだ。それなのに、この本を読んでいると、懐かしさに目頭が熱くなってくるのだ。

 高野山からペパーミントグリーンの南海電車に乗って難波に着き、広くて長い階段を降りるのが怖かった幼い頃、駅で甘いお揚げさんがのったきつねうどんを食べるのが楽しみだった。あの頃の大阪の風景が醸し出す匂いが、『けったいな人びと』という本からは立ち昇ってくるのだ。

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