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6月6日(木)
 今年の4月から京都造形芸術大学情報デザイン科の非常勤講師をやっている。といっても、私が何かを教えるわけじゃない。担当授業は、「フィールド・ワーク〜メディアとしての場、メディアとしての人〜」といって、美術館や画廊やアーティスト自主運営の場をたずねて、現場の人に出会い、アートと社会とのインターフェイスに対する考え方に触れる、というものだ。「先生」と呼ばれるが、これまでライター仕事でやってきたこととやっていることは変わらない。

 今日は、国立民族学博物館(みんぱく)へ行く。「ソウル・スタイル 李さん一家の素顔のくらし」(7月16日まで)展を開催中だ。これは、ソウルに今、本当に住んでいる3世代、5人(両親、子供2人、おばあさん)家族の家具、生活用品いっさい3000点以上をそのまんま、つまりマンションの間取りを再現し、ソウルの家にあった状態で配置、展示している。

 しかも、引き出しも冷蔵庫もすべて開けて、物を取り出せる。手に持てる。勉強道具もキムチもネクタイもオモチャも洗濯物も…。匂いもかげる、というより扉を開けたとたん、勝手に匂ってくる。すごい、面白い。私は今日が2回目だが、初めてひとりで出かけた時は2時間以上、遊びたおしていた。

 展示方法が、また面白い。靴を脱いで家に上がり込むのは予想していたが、そのまま2階にあがれるとは思っていなかった。空間を移動する時のわずらわしさ、ストレスがほとんどない。そして美術館にはつきものの、椅子に座って膝掛けをしている監視員がいない。その代わりボランティア(普通の服装で、立っている)がいて、聞くといろいろ説明してくれる。この人達は、目の邪魔にならない。見張られている気がしないからだろう。
 李さん家の周囲は、靴をはいて回る。周囲には、屋台や学校や銭湯など、街がある。屋台がリアル! 銭湯もソウルで行ったところとそっくり。

 これはすごい、これは面白い。みんながこの展覧会を見たらどんな反応をするだろう、こんな展覧会を作る人ってどんなんだろ、という自分自身の興味が先立って授業にしてしまったのだ。
 さて、学生達の反応はいかに? あらら、まずは家の周囲に置かれたガラスケースに入った展示台の方へ行く。ビデオや解説文などをじっくり見て、読んでいる。私は、初めから引き出しや冷蔵庫を開けまくっていたので、その反応にちょっと驚いた。でも、時間がたつにつれて、ひとり、ふたりと引き出しを開け始め、中の物を取り出してみたり、子供の勉強机に座ってみたり、いろいろ動き始めた。そうなると時間が足りない。10時30分集合だったのに、すでにお昼をすぎて午後1時。みんなお昼ご飯抜きだ。

 午後からは「ソウル・スタイル」展の実行委員のひとりであり、民族文化研究部助教授の佐藤浩司さんにお話をうかがう。初対面であったが、予想通り、いや予想以上の面白い人でした。
 ごくおおざっぱに言うと企画趣旨は
---「李さん一家」は韓国の代表ではない。平均的家庭でもない。「韓国」を語るための影絵としての「李さん一家」ではなく、「李さん一家」を凝視することをまず目的とし、その背後に「2002年のソウル、韓国」が見えてくるかもしれない。----
 ということ。(詳しくは、みんぱくのHP(http://www.minpaku.ac.jp)とその中にあるe-newsのMLこりゃKOREAをご覧ください)。

 私が最も興味をそそられたのは、佐藤さんという一研究者が、自身の研究を展覧会という外部に披露する形に落とし込む時の、明快な思想と方向性と責任感。「思想」というと偏ったイメージを持たれるだろうが、「普段から自分は何を考えて、何を軸に研究を積み重ねているのか」という意味での「思想」を、収集した物と情報で他者に伝えるにはどうしたらいいかを真剣に考えている。エンターテイメント性も貪欲に取り入れながら。そして分かりやすく、素人にも楽しい展示と、専門家をうならせる質的レベルの高さは矛盾しないことを証明している。

 では、佐藤さんの「軸」は何か。佐藤さんは「展覧会でもカタログでも、”韓国人””日本人”ではなく”韓国の人””日本の人”という表現している」と言っていた(余談だが、美術家の森村泰昌も同じことを言ってた。森村さんは、”彼””彼女”という表現も使わないように気をつけている)。

 驚いたことに、佐藤さんは「国」という枠を外しただけでなく、もう一歩踏み込んで李さん一家という「家族」という幻想も突き抜けて、「人間」「個人」を見ようとしている。世界中どこででも、2002年の都市生活者は、「個人」としてしかあり得ないのだ……これが、多分、佐藤さんの思想の「軸」のように思う。

 正直に言って、私は初めてこの展覧会を見た時には、物の面白さに夢中になっていて、「人間」や「個人」をそれほど意識はしていなかった。各部屋に飾られた「家族写真」を見て「韓国では家族を大切にするのだなぁ」と思いつつ、それぞれの持ち物のバラバラさ加減(子供のピカチューぬいぐるみと、おばあさんの詩の本など)に、ほんのり違和感を感じていた程度だった。が、やっぱりこの展覧会にハマったのは、企画者である佐藤さんの「思想」に共鳴していたからだと思う。
 「同志。同質。同化」ではなく、「共有。共生。共鳴」であること。これは「木陰の共有。」展で考え始めたこと。「国」を意識すれば、「同胞」という言葉が前者に加わる。後者には、佐藤さんから「共犯」という言葉をもらった。

 授業に参加してくれていたアーティストのはぎのみほさんが「一家の思い出や過去のよりどころである物を博物館に持ち込み、収集してしまうことへの罪悪感はありませんか?」という質問をした時に、佐藤さんは間髪入れずに「ない。李さんの奥さんとの共犯だから」と応えていた(はぎのさん、鋭利な質問ありがとう)。「それほど李さん一家と深く関わったし、その責任を負えるのは僕しかいない」。

 「共犯」という言葉は、人に寄りかかってきた私にはまだ背負いきれないものがある。でも、いつか共犯という関係で何かを作りあげてみたい。

6月7日(金)
 家具工房グラフと児玉画廊へ、7月の草間弥生展の取材。グラフが草間さんの作品を元に、ソファなどの家具を作る。とても面白いコラボレーションになっている。日常を異化してきた草間弥生のイメージが、実際に使える家具になって日常に再侵入する。それは、どんな作用を引き起こすのだろう…。

6月8日(土)〜10日(月)
 東京へ。雨森さんと一緒に行動する。8日(土)銀座でやなぎみわ展を見た後、代々木上原の東京大学研究センターで開催されていた岩井俊雄展へ。岩井さんとお話をした。とても気さくで、親切な人でした。神奈川県の川崎市民ミュージアムへ移動。森村泰昌展を見た後、同じ場所で初日を迎えた折元立身展とそのオープニングへ。ここでステュディオ・パラボリカのミルキィ・イソベさんと合流。2次会の後、ミルキィさんに文楽チョキチョキのインタビュー。

 翌日は、川崎の岡本太郎記念美術館で「ゴジラの時代展」に併せて開催されたヤノベケンジVS品田冬樹のワークショップ取材。こちらは雨森さんの担当なので、私はお手伝い人として気楽に立ち会う。品田さんはゴジラの最新映画の怪獣造形を担当した人。”怪獣”に対する思い、分析をしっかりしていて、話にどんどん引き込まれていった。ワークショップ後、ヤノベさん、品田さん、館長の村田さん、展覧会企画者の大杉さん、特撮ものの専門誌の編集の方と居酒屋へ。濃いお話がえんえんと続く。

 濃厚な3日間だったけれど、最も衝撃だったのは、雨森さんとセミダブルのベットで並んで寝たことでした。うふふ。

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