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嵐 橘三郎(あらし きつさぶろう)
昭和19年10月22日生れ。三重県桑名市出身。
師匠は中村富十郎。屋号は伊丹屋。六代目。
昭和38年、坂東鶴吉として初舞台。
その後、坂東竹四郎、中村富太郎を名乗り、昭和52年、
嵐橘三郎を襲名して名題昇進。
平成9年5月、日本俳優協会賞受賞。

中村 扇乃丞(なかむら せんのじょう)
昭和37年7月30日生れ。東京都出身。屋号は成駒屋。二代目。
昭和47年12月、新橋演舞場で初舞台。
昭和55年12月前進座創立五十周年歌舞伎座公演に坂東ひのきで参加。
昭和59年3月、中村鴈治郎に入門。
昭和60年6月、中村扇乃丞と改名。平成7年名題昇進。
祖父は前進座の坂東調右衛門、父は演出家の高瀬精一郎。



腕のいい名題さん

春ですね。
大人になっても人事異動やら何やらで、やはり春は出会いと別れの多い季節です。そして、あらためて人との関わりに感謝したりもします。今こうして、自分の思いをWEB上で言わせて頂けるのも、つくづく有り難いことですね。責任の所在がない匿名の発言は、それが良い意見であっても「無」のモノ、まして人に迷惑が及ぶようなものや、間違った憶測が生まれるようなものには本当に閉口していていますから・・・。
logという機会をえたお陰で、こうして腕のいい名題さんお二人をご紹介させて頂くことも出来て嬉しいです。

私は歌舞伎を観はじめの10年くらい、ただただ主役の方を目で追い、漠然と、とてももったいない見方をしていたような気がします。遅ればせながら、ここ10年近くは、脇の役者さんにも目がいくようになり、勉強会なども意識して出かけ、楽しみ方が少し深くなった気がしています。
歌舞伎役者さんは俗に三階さん、名題さん、幹部さんという呼び方をしたりします。三階さんというのは大部屋さん、名題さんというのは入門して10年以上の名題試験を合格した役者さんのことで、南座顔見世のまねきにも名前があがる役者さん。お相撲さんでいえば十両というところでしょうか。幹部さんとはチラシに顔写真の載る役者さんで、御曹司、また、一般からでも片岡愛之助さんのように資質を認められて養子になられたり、上村吉弥さんのように恵まれた素質と努力で幹部になられた役者さんもいます。

嵐橘三郎さん、中村扇乃丞さんは、腕のいい名題の役者さんです。大歌舞伎では脇役として芝居を支えていらっしゃいますが、歌舞伎フォーラム小芝居復活公演ではそれぞれ主役を見事に演じられました。
その大阪公演のご出演の前に、大阪市主催事業「お芝居探検隊特別企画」(隊長は文化プロデューサーの河内厚郎先生)で伺ったお話をここで是非ともご紹介させて下さい。そして、日頃より精進されている素敵な名題、お二人のこれからの活躍に今後もご注目頂けたら幸せです。

ルーツ

河 内 「今日はこれからの上方歌舞伎にとって大変大事な方、お二人をゲストにお招き しております。六代目嵐橘三郎さん、伊丹屋という大変珍しい屋号です。そし て中村扇乃丞さん、二代目になるそうです。皆さんご存知と思いますが扇乃丞 さんは今、ご結婚を機に大阪にお住まいになっています」
橘三郎 「嵐橘三郎でございます。今日はお招きを頂きましてありがとうございます。宜しくお願いいたします」
扇乃丞 「中村扇乃丞です。今日はお忙しい中をお運び頂きましてありがとうございます。
また、今日の夜の舞台(歌舞伎フォーラム公演)をご覧頂ける方も多いと思うのですが、お楽しみ頂ければと思います」

河 内 「まず、お二人のお人柄というんですか、そうしたものが浮かび上がるようなご質問からさせて頂きたいと思います。
橘三郎さんは三重県の桑名のお生まれだということですが、ご家族は銀行員だとか、それが何故、芝居の世界へ?」
橘三郎 「母方の祖父が桑名で芝居小屋を持っていたということもあって、母は晩年踊りのお稽古をしていました。はじめ銀行員の父が稽古事なんてと反対していたそうですが、日本舞踊が好きで、それで歳いってから始めたのですけど、その時に僕も一緒にちょっと習ったのがきっかけだと思います」
河 内 「役者になることに反対はありませんでしたか?」
橘三郎 「父親は銀行員にしたかったらしいのですが、母は賛成してましたから、それは割りとすんなりと(笑)」
河 内 「それで、富十郎さんのところにご入門されたご縁はどういったことだったのですか?」
橘三郎 「話はちょっと長いので簡単にさせて頂きますが、母と僕が習っていた踊りの先生が堺からお嫁に来てらっしゃった人でして、堺で親しくしてらっしゃった御家が八文字屋さんという大きな料亭みたいな所だったんです。二代目富十郎さんが天保時代に堺に流された時に、その八文字屋さんにお世話になって生活してらしたそうで、富十郎になる人はそこにご挨拶に行くというふうになっていました。それでうちの師匠のお父様もそこにご挨拶に行かれたそうです。で、"芝居をやるんだったら、富十郎さんをご紹介しましょう"ということになったんです」
河 内 「この前、お芝居探検隊で堺から住吉の方に参りましたが、その時、二代目富十郎さんが堺に住まわれたという碑がありました。ちょうどあのあたりですかね」
橘三郎 「そうですね。堺の駅前あたりですね」

河 内 「ところで、扇乃丞さんのお祖父さん、坂東調右衛門さんは前進座の役者さん、お父さんは演出家の高瀬精一郎さんということで、ということは東京ですよね?それが何故大阪へ?しかも住まいを移された訳ですからね」
扇乃丞 「はい。上方歌舞伎の師匠(鴈治郎)への入門のきっかけは20年前、近松座というのをうちの師匠が旗揚げしまして、その第一回の心中天網島の公演の時にうちの父が演出をしました。私は大学生だったのですが、"坂東ひのき"という名前で参加させて頂いたのです」
河 内 「それは出たいと思われたのですか?」
扇乃丞 「そうですね」
河 内 「前進座の座員であられたのですか?」
扇乃丞 「いえいえ座員ではありません。子役で一度だけ出たことがあっただけで・・・。それまでうちの師匠の舞台を拝見したことはあったのですが、近くで生で拝見して、とにかく凄いなと、それで三回目の時に入門させて頂いたのです」
河 内 「上方のお芝居に抵抗はなかったですか?」
扇乃丞 「そうですね。リアルな所はリアルで、大袈裟なところは大袈裟に、さらさらっとした所はさらさらっと、緩急自在と言いますか、東京のお芝居にはない魅力を感じますね」
河 内 「こうしてお話をしていても、大阪の芝居に出てらして違和感のない、何か柔らかい感じがしますね」
扇乃丞 「大阪に住まいしてちょうど4年くらいになるのですが、普段の生活の中でだんだんと沁み込んできたものが舞台に出るようになればいいなと思いますね」
河 内 「前進座さんが歌舞伎座で公演されたことがありましたね?孝夫さんもご出演なさって盛大にね」
扇乃丞 「それが50周年で、その時だけ坂東ひのきという名前で出して頂きました」
河 内 「お祖父さん、坂東調右衛門さんの想い出というのはいかがですか?」
扇乃丞 「僕は10歳のときに前進座の魚屋宗五郎で初舞台を踏みましたが、祖父が家主の役で、それが祖父の最後の舞台でした」
河 内 「あまり、お爺さんとは似てらっしゃらないような・・・」
扇乃丞 「そうですね。うちの兄が似ていますかね・・・」



名前の由来

河 内 「橘三郎さんの嵐という名は大阪にとって大事な名前ですし、それを継がれることになったいきさつをお伺いしたいと思うのですが・・・」
橘三郎 「はい。さっき申し上げた堺の八文 字屋さん、そこに先々代四代目の嵐橘三郎さんという方がいらして、四代目さんはそこの方とご一緒になられてお子さんが生まれましたが、そこの方にご紹介して頂いて師匠の弟子になったのです」
河 内 「四代目というと昭和11年にお亡くなりになられた?」
橘三郎 「そうです」
河 内 「ものの本によると口跡がねっとりとしてて"いちゃみ屋"と言われたとか(笑)」
橘三郎 「それは三代目ですね。僕が名題披露するという時に、よい名前を下さいと師匠にお願いしたのですが、うちには名題らしい良い名前がないよって。 それで八文字屋さんにお伺いして、色々名前を探して頂きました。師匠に"君は富之丞って名前じゃないよね"(笑)とか言われたりして検討していましたら、そしたら八文字屋の息子さんが、"このままじゃお父さんの名前が消えちゃうからお父さんの名前をあげる"っておっしゃって、それで頂いたんですよ。 師匠に申しましたら、"せっかく頂けるんだから頂きなさいよ"っていうことで、凄い名前になったんです」
河 内 「これは初代というのはもちろん江戸時代と思いますが、嵐吉三郎から橘三郎になられたんですね」
橘三郎 「そうですね。文化文政時代に嵐吉三郎という人がいまして、その人が晩年に橘三郎になって亡くなったんです。 二代目は"目徳"といわれた凄く目が大きかった嵐徳三郎という人がいまして、その方が徳三郎から橘三郎をという名前を襲名して、後に大璃寛という有名な役者さんだったんです」
河 内 「三代目は昭和11年に亡くなった方、四代目は八文字屋さんのお父さんだった方、五代目は?」
橘三郎 「五代目は実際はいらっしゃらなくって、僕が先代の息子さんに、息子さんがいらっしゃる訳だからということで・・・」

河 内 「扇乃丞という名前、これは初代ではないんですって」
扇乃丞 「ええ、先代鴈治郎さんには女優のお弟子さんが何人かいらっしゃったそうで、その時に女性の扇乃丞さんというお弟子さんがいらっしゃたそうです」
河 内 「へえー」
扇乃丞 「ですので僕は二代目ということになります」



勉強会での経験、立役・女方


河 内 「扇乃丞さんは上方歌舞伎会の方もずっとご出演なさっていますね」
扇乃丞 「ええ。上方歌舞伎会は去年で12回目ですが、全回だして頂いたのは僕だけなんですよ。年に1回だけなんですけど、普段出来ない大きな役をさせて頂けるのは勉強になります。
橘三郎さんともお話をしていたのですが、大きな役をさせて頂いたりしたことがないと、脇でも大きな役がついたりした時に、役に対して怖くなったりするんですよね」
河 内 「大きな役といいますと近松座での封印切のおえん、突然ですものね」
扇乃丞 「あれは勉強会の5回目でさせて頂いていて、その時ちょうど橘三郎さんが・・・」
橘三郎 「僕が治右衛門をさせて頂きました」
扇乃丞 「5年くらい前の勉強会で4回だけさせて頂いていたんですが、徳三郎さんが初日だけ出られて具合が悪くなられて、それで明日からってことを急に言われたんですが、そんなこともあるんだなと・・・」
河 内 「好評だったそうですね」
扇乃丞 「分かんないですけど(笑)、お芝居していく限りは、まわってくる可能性のある役についてはお稽古の時から、意識していかないといけないんだなと思いましたね」

河 内 「橘三郎さんも東京にお住まいですが、上方歌舞伎会にはご出演なさってますね」
橘三郎 「はい。僕はずっと東京の役者でいましたが、嵐という上方の名前を頂きましたし、大阪の芝居の勉強もしたいと思いまして、色々とお願いをして参加させて頂くことになったのです」
河 内 「橘三郎さんは始めからまったくの立役だったのですか?」
橘三郎 「そうですね。まったく意識はなかったのですが、ずっとそのままになっちゃいましたね。踊りは女方の稽古やりましたがねえ。
真女方(まおんながた)というのは一度近松座でやりましたかね?」
扇乃丞 「ええ、ええ」
橘三郎 「"小春さーん"(笑)っていう役、松江さん(魁春)が小春で、本当はうちの亀鶴さんがする役だったんですけど、風疹か、はしかか何かで休演になっちゃって急遽やることになったんですよ。それ位ですね。
今月、日高川を扇乃丞くんが踊っていますが、あの衣裳をつけて後ろに飛び上がるんですから、女方さんというのは衣装も頭も重いし立役より体力がいるでしょうね」
扇乃丞 「普段立役の方が女方なさった時に、帯の幅が凄いですから"よくあんなもの着けて科白言えるねえー"って、おっしゃる方多いですね」
河 内 「痩せます?」
扇乃丞 「私は汗かきなんでね。後見の方にも悪いんで痩せなきゃとも思いますし、毎回、何グラムずつかは痩せてますね」
河 内 「そりゃ、ダイエットにいいですね(笑)扇乃丞さんは女方ですよね?」
扇乃丞 「関西は女方も立役も両方っていうのがありますから、うちの師匠がなさっているように両方やっていきたいです。和事の立役とか、勉強会では桜丸とかもさせて頂いたことがありますし、前髪ものなんかもやってます」
河 内 「女方として特に意識してらっしゃることは?」
扇乃丞 「やはり姿勢ですね。普通にしてても襟が抜けてますから、そのままだと姿勢が悪く見えるんですね。僕は顎がしゃくれ顔というか突き出てますから特に気をつけて猫背に見えないようにしています。
それと後はやはり言葉、関西の訛りですね。関西でお芝居をさせて頂くことが多いですから、お客様も言葉が気になっちゃうとお芝居が楽しめないですからね。
東京の人間は、まねようと思って逆へ逆へ上げ下げしてしまうことが多いんですよ。今の関西訛りは義太夫訛りとは違いますし、やはり義太夫を勉強しないといけませんね」
河 内 「大阪の奥さんとご結婚されてこちらにお住まいを持たれるようになりましたが、東京の舞台に出られることも多いですし、大体、年何か月位こちらにいらっしゃいますか?」
扇乃丞 「関西と東京、半々くらいですね。それ以外に名古屋や博多に行ったり、ほか地方にも参りますし・・・」
河 内 「生活環境が変わると大分言葉も入りやすくなりましたでしょ。橘三郎さんは?」
橘三郎 「僕は三重ですからねえ。大阪弁でもなく江戸の言葉でもない。でもまあ、東京の方が喋る言葉よりは大阪に近いだろうということで、大阪の芝居にも使って下さるんですが・・・江戸の言葉を覚えるのも苦労しましたが、とにかく最初から真似る。自分で考えてするとおかしなことになっちゃいますから」
河 内 「東京の勉強会では道玄をされたそうですが、こういう役はお好きですか?」
橘三郎 「面白いですね。僕は本当は質店の店主をする予定だったのですが、主役する子が急に出られなくなったもんで、師匠の芝居では番頭で何回か出てますので科白は大体覚えてましたからね。やっぱり七五調の科白、特に脅し文句ですから気持ちいいですね」
河 内 「勘平はいかがでしたか?」
橘三郎 「成駒屋さんのものを拝見してましたから、とにかくそれを再生することを目指して、捨て台詞なんかはとてもとても無理だから、それもおっしゃってるようにしました」
河 内 「これから勉強してみたいものとしてはいかがですか?」
橘三郎 「義太夫狂言をやってみたいですね。俊寛とかやってみたいです」

河 内 「扇乃丞さんはいかがですか?立役でもお聞かせ下さい」
扇乃丞 「鑑山のお初とか、合邦の玉手とか、関西のものでしたら酒屋のお園とか勉強してみたいですね。
この前、封印切の忠兵衛とかもさせて頂きましたが、立役で勘平もしてみたいです。やはり立役は発散しますね」
河 内 「そうですね。女方さんは普段芝居で辛抱しているせいか、お酒を飲まれる方、強い方、酒豪の方が多いみたいですものね(笑)」
橘三郎 「僕なんか抑圧された立役ですけどね(笑)。とにかく師匠が忙しかったから、師匠が顔してらっしゃる横でご飯を食べてましたから物凄い早飯ですしね」
河 内 「扇乃丞さんがあげられた演目を伺ってると、やっぱり芝居が好きな人なんだなぁと感じますね。他には?」
扇乃丞 「あとですか?あ、曽根崎のお初とかもやりたいですね(笑)」
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