4月4日(金)
朝から雨。リハビリに行き、あいかわらず『プレジデント』の原稿書き。今日、レイアウトが出て、文字数などが決定するはずである。夕方、5時にMEMで待ち合わせ。ずーっと前、私が駆けだしライターだった頃、お世話になっていた編集プロダクションがHPを作るらしく、その『関西人間図鑑』というコーナーに私を紹介したいらしい。そこの若手ライターからのインタビューと写真撮影を受ける。しっかりした女の子、というか女性で、話をしていても面白いから、どんどん深ーい話をしてしまった。で、自分でも気づいたのだが、どうも"ライター"という枠からは外れるものかもしれない。"アウトサイダー・アート"も"文楽"も、その面白さを伝えるというより、未知への探検というか、あまりにも分からなくてどう扱っていいのかウロウロしている様を、そのまま仕事に転化しているような気がする。だから、"分かる"とあんまり触りたくなくなっちゃうんだよね。途中、『プレジデント』編集部からレイアウトがあがったから、FAXを流したいとのこと。MEMにお願いしてFAXを受け、えんえんと打ち合わせをしてしまった。ありがと。夜7時ぐらいから、赤崎みまさんと合流。今度の展覧会で額縁をどうするか悩んでいるそうだ。私は、ジョセフ・コーネルみたいに箱の中にある感じがいいと言ったのだが、みまさんはオブジェとして見せたいようだ。いろいろお話。最後に決めるのは、みまさんだけど信頼してくれるから来てくれるのだろう。こういう相談は、うれしい。
4月5日(土)
三世桐竹勘十郎襲名公演の初日だ。うわー、お正月以上の人出。補助席も満員。私はすみっこの席だけど、この熱気はいいわぁ。なんだか出演者の方々もはりきっているし。襲名口上、玉男さんのコトバに間があいて、「忘れたのかしら?」とドキドキした。襲名公演の『絵本太功記』は、舞台稽古の時よりも勘十郎さんは余裕をもってやっていたように思う。汗もそれほどかいていないように見えたけど。とにもかくにも万雷の拍手。こういう熱気ってよいですねー。そうそうに帰り、原稿だ〜。
4月6日(日)
お昼に『プレジデント』の三世桐竹勘十郎襲名の原稿アップ。うひょひょ。いい感じだぜ! 絶対に一発OKだな。と思いつつ、メールで流してそのまま爆睡。夕方に編集部の出来さんから電話。「いいですね。でも、もうちょっと直すとよくなるところがあるので…」というので、再び手直し。雑誌の特色に合わせた表現と、私の思う"勘十郎像"との違いがあって、コツンコツンとぶつかる。ぶつかりながら、お互いに落としどころを探っていく。それは嫌な作業じゃない。そのぐらい出来る編集者が第一読者なのだから、この人が感動する原稿をあげれば、その背後にいる読者は絶対に大感動するはずだ、と思える。こういう時は"ライター魂"が燃える。深夜を通り越し、朝4時に原稿アップ。ああ、おつかれさまでした。
4月7日(月)
爆睡していて、リハビリの時間まで寝過ごす。あーあ。予約の取り直し。『プレジデント』の校正がもうあがってきた。というより、今日中に決着をつけてしまわないと14日の発売に間に合わないのだ。すごいな〜。1週間後には、もう全国の本屋に並んでいるんだよ。雑誌ってすごいスピードで作られているのだなあ。そこに250年前から変わらない「文楽」の記事が載るのか。現代だなあ。昨日、あれだけ激論したので、ルビと数字の確認だけで返す。
4月8日(火)
朝からリハビリ。その後、たまっていたメールのお返事書き、もろもろ。アメグラ改めパークエディティングが新しく発刊する雑誌『PARK』の原稿書き。本当は、今日がギリギリの締め切りなのだ。すずかけ絵画クラブの富塚純光さんのことを書きたかったのだ。だけど、なんてこった、全然頭が働かない。文楽で完全燃焼してしまって、その他のことが考えられない。うーん、困ったぞ。
4月9日(水)
『SAVVY』の「やっぱりアートはやめられない」コラムで、武庫川すずかけ作業所アートサポーターの長友郁代さん電話取材。美術史を学んでいた学生時代の迷い、すずかけ作業所で何枚も何枚もあふれるほどに描く人達との出会い、その衝撃、その衝撃は何かと自分に問いかけること、実際にボランティアとして関わりながら美術と福祉と人が生きることについて考えること…。そんな話をした。さらさらと彼女のコトバが心に染みこむ。長友さんと話をしていると、謙虚さと強さは、同じ根っこだと分かる。自分自身のやるべきことと、自分自身が分からないことがあることを知っている人は、強くて美しい。たくさんの元気をもらった。
4月10日(木)
今期も始まった。京都造形芸術大学情報デザイン科「フィールドワーク」の授業初日だ。なのに電車の時間をよみまちがい、30分遅刻。先生なのになあ。あーあ。教室もかわっていた。今期は、17人が登録。けっこう人気らしい。前の授業でまわったところなどをスライドで紹介していたら、途中で別の先生が来てこの教室を使うから……ってことで終わり。ま、来週からが本番だからいいかー。藤本由紀夫さん達や前に私の授業をとっていた人達と合流。カフェで熊野の写真を見せる。大好評。特に穴が空いた岩を改造した家に藤本さんが異様に反応を示す。
4月11日(金)
早起きして『PARK』原稿書き。だんだん、じわじわとカンがもどってきた。10時30分、英会話に行く。久しぶりだ。お昼からは京都へ。ミスタードーナツで原稿を書き続ける。4時、ギャラリーTAFで岡本光博さんを取材。岡本さんは、ぎっくり腰で大変に苦しんでいる。私も事故で、右腕が動かしづらいのよ〜と不自由自慢大会。取材は、面白かった。ひさしぶりにアーティストと話したような気がする。夜7時『ぴあ』打ち合わせ。MACが重い。親子丼食べて、帰る気力を入れる。深夜に『PARK』の原稿をあげる。ふ〜〜〜。
4月12日(土)
早起きして吉野へ行く。吉野には上田のぞ美ちゃんの実家があり、お母さんが山菜料理を作ってくれるというので、ホイホイと出かける。中西美穂さんも一緒だ。阿倍野から一時間半ほどで、上田さんちの近くの駅に到着。緑と川があって、気持ちいい。このところの仕事のストレスが、す〜っと解放されていく。上田家では、お母さんが着物の布を使った服や鞄の展示会もやっていた。お母さんは詩人でもある。詩の同人仲間も来てにぎやか。お昼ご飯はゴージャス! ツクシのたきこみご飯、胡麻豆腐、山菜の和え物、だし巻き、などなどがお膳に出てきて、さらに山菜のてんぷらも始まった。すきな、タラノメ、わさびの葉、椿の花もてんぷらに。美味い! 私はすぎなのちょっとクセのある味がお気に入り。それからほろ酔いのところをがんばって、吉野の山に行く。ちょうど山桜のシーズンとあって、どえりゃー人がいる。上田お母さんのお薦めコースに行く。が、これがけっこう山登り。中西さんと私は、そうそうに泣き言を言い始める。「もうひきかえせへん?」って。それでもなんとか、人ごみをはずれた山の中の散策道に入る。これは気持ちよかった。桜を遠くに見ながら、山を下っていく。オゾンがいっぱい。しかし、体力がなくなっているな?。どこかで身体をきたえないと。上田家で夕食もいただく。吉野名物の"おかいさん"。つまり茶がゆだ。熊野の名物でもあるけど。美味しかった。食後は、上田お母さんに謎のお香リハビリをしてもらって、肩も楽になったような気がする。帰りの電車は、中西さんも私もぐーぐー寝てました。
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