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ちょっとお休み
能『安宅−勧進帳・延年之舞・貝立-』
 

今回は、<独り言>をちょっとお休みして、『安宅』の紹介をさせていただこう。

〈あらすじ〉  
山伏に変装した義経主従は、北陸道を奥州平泉へと向かう途中、加賀国安宅の湊にさしかかると、義経捜索のための新しい関所ができていた。  
待ち受ける関守の富樫某は、一行を斬ろうとするが、弁慶は、あり合せの巻物を東大寺復興のための「勧進帳」と偽って即興で作りながら読み、疑う富樫をかわして許される。
ところが、強力に身をやつして後に続いていた義経を富樫に見咎められてしまう。色めきたつ山伏たちを静めた弁慶は、強力が主君義経ではないことを示すために、金剛杖でさんざんに打って見せ、その場をきりぬける。  
安堵して山蔭に憩う義経主従のところへ富樫が酒を持参して非礼を詫び、酒宴となる。弁慶は延年を舞いつつ一行を促し、「虎の尾を踏み毒蛇の口を」逃れるような思いで、奥州への先を急ぐのだった。

〈かいせつ〉  
素顔で演じるものを「直面(ひためん)物」といい、これは、幽霊ではなく生身の男の役、つまり現在進行形の劇である。
『安宅』は、たたみかけるような緊迫感と、聴かせどころ、見せどころを巧みに構成した劇的展開が見事で、「直面物」随一の人気曲である。また、シテの個性によってどんな弁慶になるのか、という面白さも見逃せない。  
能の『安宅』を説明するときに、ついつい「歌舞伎でいう『勧進帳』です。」と言ってしまうが、ご存知のように、『勧進帳』の原作は能である。もちろん、能も歌舞伎も、それぞれの特徴がよく出ていて甲乙付けがたい魅力がある。  
おもしろいことに、華やかで派手な歌舞伎の『勧進帳』より、能の『安宅』のほうが山伏の数が多い(歌舞伎は四人、能は九人)。  
『安宅』の一番の見どころは、弁慶の心中の表現や富樫との対決にあるといえる。また、舞台上の人物の配置などに、極めて<能>的なシンプルで美しいデザインが施されていることにもご注目をいただきたい。  

と、まあ、普通はこんな解説なのだが、対談にもあるとおり、今回の「大槻文藏の会」での『安宅』は、<おもしろくない>『安宅』らしい。いったいどういう意味なのだろう。
おそらく、大槻文藏自身が<能>らしいと思う、つまり、大槻文藏の目指す<能>とは何かを示す舞台になるであろう。能の<現在物>は、芝居心がなくてはつまらないが、芝居をしたらもっとつまらなくなるのである。

【小書】(=特殊演出、替えの演出)
●勧進帳(かんじんちょう)  観世流以外は、勧進帳をシテ(弁慶)の独吟で読むが、観世流ではこの小書を付けた場合のみ。ほとんどの場合、この小書きが付く。
●延年之舞(えんねんのまい)  
弁慶(シテ)が酒宴で舞う〔男舞〕の途中で、右袖を巻き掛け声を掛けながら飛びあがる演出。また、装束が通常より派手になったり、酒宴の場面で、弁慶が、扇を盃に見たてて投げ、それを拾う所作をするなど、所々に替えの型が入る場合もある。  
<延年の舞>は、平安中期頃に興り、鎌倉・室町時代に最も栄えた寺院芸能。延暦寺などの大寺院で法会の後の余興として舞われた歌舞の総称で猿楽の能(現在の能楽)にも影響を与えた。のちに遊僧という専業者も現れた。武蔵坊弁慶は、熊野の別当の子で比叡山西塔で修行したと伝えられる。
●貝立(かいたて)  
弁慶(シテ)が、「汝はこざかしき者にて候」というセリフに続いて、強力(アイ)に貝を立てる(法螺貝を吹く)ように言い、強力が貝を吹く所作をみせる。

石淵文榮