子供の頃から時代劇が好きでした。おでこにある古傷は、小さい頃、「銭形平次」の音楽にあわせてゴーゴー(古い!)踊って、滑ってこけて、火鉢で割った・・・おっちょこちょいな時代劇好きです。
ですから、12月となると、そりゃあ何といっても「忠臣蔵」。自分の誕生日を忘れることがあっても、「12月14日」というと、心が微妙に疼きます。
「時は元禄十五年、師走半ばの十四日」・・・歌舞伎というより、講談のこの始まりの方が、私的にはぴったりくる気がするのだけれど、でも、今の世まで、「忠臣蔵」という話が残っているのは、元禄14年3月、江戸城での赤穂城主・浅野内匠頭の刃傷事件、元禄15年12月、浅野家元家臣たちによる吉良邸討入り、その二つの大事件をもとに、竹田出雲らが作った「仮名手本忠臣蔵」が、大坂道頓堀で人形浄瑠璃として上演され、それが歌舞伎に移され、人々に愛され、幾度も幾度も上演され続けられたお陰かな?と思っています。
私は、宝塚にもせっせと通っていた時期があって、最後にハマっていたトップスターは、杜けあきさんで(これもちょっと古い?)、そういえば、この方のサヨナラ公演も「忠臣蔵」でした。一路真紀さんの浅野内匠頭が切腹するシーンでは「風さそう 花よりもなお我はまた 春の名残を如何にとやせん」という辞世の句に、メロディがついて美しく影歌として流れる・・・宝塚らしーい演出です。それを幾度も観たため、多分もう忘れないだろうと言う位、浅野内匠頭さんの辞世の句はおツムにすり込まれてしまいました。
歌舞伎では、「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」が、特に三大狂言と呼ばれ、特別な演目とされています。
中でも忠臣蔵は、芝居の独参湯(どくじんとう)と言われるそうで、芝居の入りが悪いときでも、とにかく忠臣蔵を出せばあたる。それを、どんな病気にでも効く妙薬「独参湯」の名を充てて例えられたのだそうで、忠臣蔵に関する演劇書物には当たり前のように独参湯のことは書いてあるのだけど、私は実際に会話に用いられるのを聞いたことはありません。
江戸時代、庶民の多くが、気持ち的には赤穂浪士を支持していても、表向き幕府批判となるような芝居は打てません。ですから「仮名手本忠臣蔵」は、時代を足利時代に置き換え書かれています。
役名も、大石内蔵助は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)、浅野は塩冶判官(えんやはんがん)、吉良は高師直(こうのもろなお)と、ほかの役名も皆違います。
この高師直は、足利時代に実在した人物で、これも足利時代に実存した顔世御前(「仮名手本忠臣蔵」では塩冶の奥さんの名前になっています)の行水を覗き見して、思わずブルブルッと身震いをした、その好色なエピソードをもとに、嫌らしいおじさんのキャラクターとして、その名が使われたとか聞いていますが、しかし、その行水を覗き見している様子を、また、誰が覗き見たのか?と、くだらない疑問も私的にはあります。 |
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萱野三平(早野勘平)の墓 |
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のどかな里の小高い丘に
三平さんのお墓はありました
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バス停の名は
ズバリ「萱野三平前」
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萱野三平旧居「洞泉亭」プレート
江戸から赤穂へ
早駕籠で向かう途中、
自宅前を通りかかり
葬式に偶然にも遭遇したことで、
母の死を知ったのだそうです |
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三平が自刃して果てた部屋 |
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「高師直塚」
交通量の多いところに
建っていますが、
動かすとたたりがあるのだとか・・・ |
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赤穂城 石垣 |
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赤穂城 城門 |
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