歌舞伎演目の中で好きな芝居は数々あります。けれど、この芝居なら、この役者さんのこの顔合わせが好きとか、観客として色々細かい好みもありますので、もし「マイベスト5の狂言を選出しよう」みたいなことになったら、かなり困ってしまうと思うのですが、そんな中でも、それでも迷わず好きだなーと思うのは「夏祭浪花鑑」なのです。
「夏祭」の解説などにはよく「大阪の風土を色濃く鮮やかに描き上げた作品」とか何とかとありますが、本当にその通り。芝居のバックグランドミュージック・合方なども耳馴染みのよい大阪の地唄などが上手く挿入されていて、ワタシ的にはいつも自然に引きずり込まれてしまう、体の血が騒ぐ芝居なのです。これも東京の役者さんの場合は江戸の祭囃子をもちいる人もいらして、そんな時は大阪人の私としては少々がっかりしたりもしましたが、東西の演出の違いを楽しむのも芝居の一興で、住吉の場で首抜き浴衣を着るのか、縦縞なのか、床屋の暖簾の寸法やかけ方はどうかとか、そういうマニアなことも楽しみではあります。因みに首抜きというのは、白地で首の回りに役者の家紋を染抜いた大胆なデザインで、住吉の鳥居前で、髭ボウボウの囚人姿の薄汚れた団七が、髪結い床から見違えるような颯爽とした男ぶりで登場する時はよくジワが沸いています。
2002年、その大好きな「夏祭」を、大阪では、違う座組と演出で二種類観ることが出来ました。ひとつは中村翫雀さんが成駒屋の型で岸和田・浪切ホールでされたもの、もう一つは中村勘九郎さんが串田和美さん演出という東京・渋谷のコクーン歌舞伎でもされた斬新な形で、扇町公園内での平成中村座で上演されました。そんなこともあって、大阪市さんでさせて頂いている秋のお芝居探検隊も、「夏祭」の主人公・団七やその周りの人々の足跡を訪ねてみることになりました。夏から秋にかけて、私は大好きな「夏祭」の世界で気持ちを遊ばせることができ、少し楽しかったです。
芝居の足跡を訪ねて歩くというのも、実際はなかなかコースを立てるのが難しくて、あたかもあったかのような虚と、ほんまかいな?という実が、ごちゃごちゃに混ざっている上、今はまったく跡形もなかったりする所も多いものですから、その面白みは、参加される方のイメージや想像力に委ねる部分も多いのかな?と思います。でもまあ、どんなものでも、どんなことでも、受け手の感性によってそれは大きな違いがあったりして、それも興味深いものですものね。
この話の骨子となっている実説は、「摂陽奇観」に書かれているある事件、延享元年(1744)冬、長町裏で堺の魚売りが賭博のいざこざから殺人を犯し、死体を雪の中に埋めたのが春になり雪解けで発覚した、という話をヒントに書かれたと考えられています。
芝居の中でも長町裏は殺し場として登場してきますが、この長町というのは、今の日本橋の電気屋街、昔は旅籠が軒を連ね、「東海道中膝栗毛」にも弥次さん喜多さんが泊まった場所として登場しますが、殺し場となった長町の東裏は一歩入ると、畑、湿地の続く薄気味悪く寂しい所だったそうで、西裏には大変貧しい人たちが住んでいたそうです。
長町という町名の由来は、昔このあたりを那古浦(なごうら)と言っていたのが訛ったとか、南北に町並みが長く続くからとか、そういったことを以前何かで読みました。
旅籠が並んでいた昔の長町、電気屋街を突き抜けたところに交差する形で、今は、スリッパとか下駄とか履物の問屋さんが並んでいます。旅籠の近かったあたりのことだから、昔はこのあたりには草鞋(わらじ)を扱うお店などが並んでいて、その名残が今のスリッパ等の問屋さんかと?勝手に想像してしまいましたが、一度調べてみたいと思います。
その殺しの実話をもとに並木千柳・三好松洛・竹田小出雲らの合作で、延享二年(1745)に人形浄瑠璃として竹本座で初演されたのが「夏祭浪花鑑」で、世話物では、初めての九段もの長編で書かれた作品なのだそうです。
それが翌月には歌舞伎に移され、以来、各時代の名優によって様々な工夫や型や演出が積み重ねられ今日に伝えられているのですが、大阪の夏という季節感の描写や、鮮烈な色彩の対比や、決まる見得の多さ、かっこよさ、洗練度は本家の文楽より凄い、名優たちの練り上げた演出の素晴らしさを体感できる作品です。
物語を簡単に言いますと・・・
魚屋?団七の奥さん・お梶は、その昔、玉島家の召使いでした。玉島家の放蕩息子・磯之丞は遊女・琴浦と深い仲なのですが、大鳥佐賀右衛門といういやらしい侍が横恋慕し、琴浦を手に入れようと画策します。おりしも佐賀右衛門の中間との喧嘩で牢に入れられていた団七は、妻・お梶の頼みを聞き入れた玉島家の計らいによって放免になり、それを恩に感じた団七は、磯之丞と琴浦のために立ち働こうとするのですが、舅・義平次は、お金のために琴浦を佐賀右衛門に引き渡そうとします。高津神社の祭りの宵宮の日、団七はそのことから舅・義平次と長町裏で争い、ことのはずみから舅を殺してしまいます。
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