|  中村扇乃丞さんは中村鴈治郎門下。上方の女方さんです。東京生まれの東京育ちですが、結婚を機に、奥様が生まれ育った大阪に住まいを移されました。
                                ご結婚されてすぐ、初めて扇乃丞さんにインタビューをさせて頂いた時のことでした。私は「いやあ、扇乃丞さんって後姿が綺麗」「本当にその後姿が素敵」と、かねてよりの思いを爆発させ、何度も何度も後姿のみをしつこく絶賛してしまい、扇乃丞さんから「あの〜前は?」と尋ねられてしまうという、恥ずかしい想い出?を作ってしまいました。
 今回、あらためてお話を伺うにあたって、その時の話をすると、扇乃丞さんはにっこりされて、「でも、ありがたいことですよね。素晴らしいほめ言葉だもの」と言って下さいましたが・・・。
 
 そうなんです!!後姿に全てが出る・・・よく役者さんはそうおっしゃいます。後姿ま でが自然で行き届いている、そうした精進をされた役者さんが演じられるからこそ歌舞伎は面白いのです。私のまわりにも扇乃丞さんの今後の活躍に期待されている歌舞伎ファンが沢山います。「相応しい名跡を継いで、幹部として活躍して欲しい」・・・そんな期待の声も耳にします。
 今回は是非とも皆さんにご紹介したい役者さん、中村扇乃丞さんにお話を伺いました。
 
 
                                
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                                  | 「道行恋苧環」お三輪
                                       |   ルーツ
 —扇乃丞さんは御祖父様(坂東調右衛門)の舞台はご覧になっているのですか?
 
 はい。僕は初舞台が10歳の時の前進座の「魚屋宗五郎」だったのですが、それが祖父の最後の舞台だったんですよ。
 
 
 —その時、御祖父様はお幾つだったのですか?
 
 75歳位でした。僕はまだ10歳でしたから、晩年の幾つか位しか舞台は覚えてませんけれど、立派でおっかない顔の印象がありますね。
 
 —お父様(演出家・高瀬精一郎)との関わりは、どんなだったのですか?
 
 うちの父も若い頃は役者をやっていましたが、あとで演出の方の担当になりました。それで、うちの師匠(中村鴈治郎)が近松座の第一回公演「心中天網島」を旗揚げしました時に演出をしまして、僕もそれがご縁で大学の1年生、19歳だったんですけれど、近松座公演に、一回目、二回目と出して頂きました。
 
 
 —その時に鴈治郎さんへの入門を決められたのですか。
 
 そうですね。それまで師匠の舞台を客席からは拝見していて漠然と「いいなあ」とは思っていましたが、同じ舞台で、身近で拝見して、本当に「素晴らしいなあー」と思って・・・。国立の研修生に入ろうかとも考えましたが、1回、2回と出させて頂くと、もう早く近くで修行させて頂きたくて「大学なんてもういい」と思って中退しちゃったんですよ。それで、三回目の近松座の直前にお弟子にして頂きました。
 
 
 —ご家族には大学を卒業するようには言われませんでした?
 
 あんまり(大学へは)行ってなかったですからねえ(笑)・・・。
 その時にはもう兄(ニューヨークで活躍している俳優・演出家の高瀬一樹)が大学を中退して、試験受けてニューヨークの大学に入って、ということをしていましたから・・・。
 
 
 —お兄様とは幾つ違いなのですか?
 
 3つです。19、20歳の時から向こうに行ってるから、なんだかもう外人みたい(笑)。
 僕も入門する前に1年位ニューヨークに行こうと思ったんですが、お祖母ちゃんが危篤になって帰ってきちゃったんで、2カ月位しか行ってないんですよ。
 
 
 —ニューヨークでは何をされていたんですか?
 
 1カ月は英語学校に通って、それからはお芝居を色々見たりしてフラフラと・・・。
 
 
 —今は英語はどうですか?
 
 英語は駄目ですね(笑)。でも、何とかボディランゲージで通じますよね。細かいニュアンスは駄目ですけど・・・。
 
 
 —ロンドン公演では役にたちました?英語でデモンストレーションされたりとか・・・。
 
 それはなかったんですけど、翫雀さん扇雀さんは結構ワークショップをやったんですよ。
 若い子たちはそれに付いていってましたが、僕らの参加はなかったもので・・・。
 実はこの前、師匠がジャパンソサエティというところの主催で、ニューヨークでワークショップをやったんですけれど、うちの兄が偶然にも主催者から通訳を頼まれていましてね。
 師匠がお話をして、兄が通訳する、そして、僕が静御前の化粧衣裳を着けるまでをやるって形になりました。「えー」って感じで、びっくりしましたね。
 
 
 —凄い偶然ですねえ〜。ニューヨークはそれまでも海外公演とかで行かれてました?
 
                                
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                                  | 法善寺で
                                       |   いえ。20歳で行って以来、19年ぶりでした。
  —扇乃丞さんは、お父様が演出家、お母様が舞踊家、御祖父様が役者、お兄様はどちらかというと前衛的な役者で演出家、どれも表現されるお仕事ですが、将来の選択をされる時に受けられた影響を教えて下さい。
                                
 そうですね。僕は踊りの稽古をずっと母から習っていたのですが、うちの兄貴の場合は中学生位で辞めちゃって(笑)・・・。
 僕の場合は踊りが好きで、ずっーとやってて、今、こうして歌舞伎役者になって、お陰で随分役に立っていますからねえ。ありがたかったなあって思っていますね。
 
 後ろ姿
 —その修行の積み重ねが後ろ姿にでています(笑)。
 扇乃丞さんの隠れファン多いですもの。何で隠れかわかりませんが(笑)・・・。
 
 姿勢っていうのは一番大事ですからね。僕は結構猫背なんですよ。あごが尖ってるっていうか。気をつけていますけどね。
 女方って胸から上で演技することが多いじゃないですか。(動いて見せて)こうして。
 
 
 —後姿って、舞踊の素養があるからだけじゃなくって、演技で作ってはるのですか?
 
 やっぱり気を抜いていたらお客様にも気を抜いて見えますよねえ。
 前から見て、こうしていたら姿勢が良く見えますけれど、後ろからみたらそれは前屈みに見えるんですよ。だから、師匠なんかも後ろを向いた途端グッと反ってられますよ。
 
 
 —それで美しいんですね〜。後姿の良い役者さんって、まず鬘と襟足の距離が綺麗ですもの。
 
 女方は襟足を随分抜いているから。前のめりだと距離があいて見えちゃうんですよね。うちの師匠は72歳になった今も、全てがしゃんとしてますからね。
 
 
 —そうした秘訣は師匠が言われる訳ではなくて、芸を盗んでいくことなんですか?
 
 いえ、実際にも教えて下さいますよ。
 うちの母の会(舞踊会)で、僕が鏡獅子をさせて頂いた時も、うちの母は花柳なんですけど、師匠のやってらっしゃる藤間の宗家のやり方で踊りたくってね。それで無理言って頼んでやらせてもらったんです。その時、師匠がお稽古つけて下さった時も「こうリラックスして、胸で八の字をかいて(動きながら)」って・・・。
 
 
 —わあ、怖い。いや、ごめんなさい(笑)。顔は普通の扇乃丞さんなのに、今の少しの動きで違う人格の人が現れたみたいで、凄いなと・・・。
 
 そういうことも教えて下さるんですよ。
 上方歌舞伎会でも、そうした細かいことまではおっしゃいませんが、要所要所を見て下さいますよ。
 上方歌舞伎会も一回目から、ずっーと続けて出ているのは僕だけなんですよ。
 
 
                                
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                                  | 「二人椀久」椀久 | 「梅暦」芸妓
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