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【脚注一覧】

1 マッシモ・カッチャーリ「現代都市の哲学」、田丸公美子・阿部真弓訳、『批評空間』III−4号、批評空間社、2002年、80頁。

2 同、75頁。

3 同、80頁。

4 それぞれ、以下の頁記載の、訳者解説を参照のこと。マックス・ホルクハイマー、テオドール・W・アドルノ『啓蒙の弁証法』、徳永恂訳、岩波書店、1990年、411頁。テオドール・W・アドルノ『ミニマ・モラリア:傷ついた生活裡の省察』、三光長治訳、法政大学出版局、1979年、407頁。

5 『啓蒙の弁証法』、191‐192頁。

6 『ミニマ・モラリア』、224頁。

7 『啓蒙の弁証法』、194‐195頁。

8 『啓蒙の弁証法』、195頁。

9 『啓蒙の弁証法』、194頁参照。

10 『啓蒙の弁証法』、210頁。

11 『啓蒙の弁証法』、210頁。

12 『ミニマ・モラリア』、209頁。

13 『啓蒙の弁証法』、223頁。

14 『啓蒙の弁証法』、353頁。

15 『ミニマ・モラリア』、208頁。

16 ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモチーフについて」、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』、浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、1995年、420−421頁。

17 「日本文化私観」、『坂口安吾全集14』、筑摩書房、1990年、381頁。

18 「日本文化私観」、384頁。

19 『啓蒙の弁証法』、213頁。

20 『社会学の根本問題』、清水幾太郎訳、1979年、岩波書店、69‐70頁。

21 『社会学の根本問題』、71頁。

22 『社会学の根本問題』、89頁。

23 「大都会と精神生活」、『ジンメル・エッセイ集』、川村二郎編訳、平凡社、1999年、173
‐200頁。

24 たとえば「大都会では、人間と物とのひしめき合いが絶頂に達して、個人の神経を最高に刺戟する。同じ条件がひたすら量的にのみ増大するので、この神経の昂揚はたちまち逆転し、投げやりという独特な順応の様態を取ることになる。この様態において神経は、大都会生活の内容及び形式と折り合いをつける最後の可能性を、それに反応するのをあきらめるといった方式に発見する。客観世界全体の価値を否定することで自分を保持しようとする、ある種の人々の試みだが、その試みは結局避けようもなく、自分自身の人格も同じように価値のないものだという気持に落ちこんでしまう。」(「大都会と精神生活」、183‐184頁。)ジンメルは、事物と人との過度のひしめき合いに加え、貨幣経済の浸透をも、この投げやりな態度を準備する条件と見なす。すなわち、事物の交換価値的側面の、過度な量的増大、それにつれての使用価値的側面の減退、全てが一律に、交換過程に組み込まれていくその本場が大都会であり、その過程が、都市生活者の主観的条件にも浸透していくというように。「投げやりの本質は、さまざまな物の差異に対して感覚が鈍ることなのだが、…物の差異の意味と価値、ひいては物自体の意味と価値が無にひとしいと感じられるということなのだ。…こうした心の気分は、完全に滲透した貨幣経済の、主観における忠実な反映である。貨幣は物のすべての多様性を均一にならし、物のあいだにあるすべての質的な差異をいくらするかという量の差異で表現し、…物の核心を、その特性、特殊な価値、他と比較できぬ性質を、救いがたいまでに空洞化してしまう」(「大都会と精神生活」、182‐183頁。)都市生活者の画一化と相互疎隔の傾向について、セネットは、fear of exposureやdifference from and indifference to othersといった具合の、都市生活者に一般化しつつある主観的傾向に即し解明しようとしており(彼によるなら、現代都市のツリー的な、すなわち構成要素が相互に分断された物的形状は、こういった相互接触を忌避する心的傾向の反映である)、アドルノは、文化産業の興隆という客観的過程(および生活者に及ぶ影響)に即し解明しようとしている。ジンメルの説明(それは充分に展開されていないのだけれど)は、都市に固有な混雑状態に対する生活者の心的反応と、貨幣経済の客観的過程の浸透との両方から試みられている。ただし、彼の場合、「投げやり」は一つの類型として述べられるのであり、都市生活者の一般的傾向であるとまでは言っていない。すなわち皆が皆投げやりな態度となるとは言っておらず、一部の、都市生活の条件に適合し得ぬ者がそうなると言っているのである。投げやりの基とされる条件(多様な人、物のせめぎあい等)は、むしろ、都市生活者にとり、区別する能力の向上、小さな町に比して自由である精神態度の生長といった、肯定すべき可能性をも秘めると述べる。つまりは、投げやりは、都市の一般化しつつある条件に対応出来ない、特殊な精神態度の一例である。

25 『ホモ・ルーデンス』、里見元一郎訳、河出書房新社、1971年。

26 『遊びと人間』、多田道太郎・塚崎幹夫訳、講談社学術文庫、1990年。

27 『社会学の根本問題』、77頁。

28 『社会学の根本問題』、77頁。

29 『社会学の根本問題』、78頁。

30 『遊びと人間』、40頁。

31 原文はfaireであり、《する》《行う》と訳したほうが適切か。

32 Henri Lefebvre, La production de l'espace, Anthropo, 2000, P.453.

33 La production de l'espace, P.430


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