雄三さんは上野家(シテ方観世流職分家)の三男さんですよね、いつからシテ方をしようと思わはったんですか?
上野「んー、まぁ、子方でやってたからね。ズルズルとその道に浸かってたでしょう?うちの義雄(よしお/大鼓方大倉流)兄さんもなんやけど、僕も、工業高校に行ってたから、機械いじりみたいなほうが好きやった。それと、中学から高校の間は、ブランクがあって、声変りがあったりして、その間は舞台に出ることはなかったから、結構自由にさしてもうてて。で、やっぱり、機械関係のほうへ就職したかったんやけど、父が、‘社長になるくらいの覚悟があるんやったら行ってもええぞ’って言うし、そんなもん決まれへん、その時は。それに、姉も、就職せんとこっちやれやれって言うて、まあ、いろいろあって、結局、こっちのほうに入ってしまったんやけど。でも、それは、昔からやってるから、自然とまたその道に戻ってきたんかもしれんけどね。能が好きで憧れて入ったんではないわ、僕は。…自然にやね」
養成会にはいつごろ入らはったんですか?
上野「…二十歳ぐらいじゃないかな。2年くらいで卒業したかな」
野村四郎(のむら・しろう/シテ方観世流)さんには、どういう経緯で師事されたんですか?
上野「僕が28歳の時に父が亡くなってからやね。ご先代のお家元(=観世流25世宗家観世左近/かんぜさこん)が仰ってくださって」
28歳の時にお父様が…、雄三さん、今おいくつでしたっけ
上野「昭和31年生まれやから47歳。<花形能舞台>の中で僕だけちょっとおっさんやねん(笑)」
ひえっ!47!もうそんなんなってはりますか!見えへん…
豊「雄ちゃん、若く見えるもんねえ。うちの娘と10歳違い。幼馴染みやもんね。うちがここへ越してきた時、母がお父さん(=上野朝太郎/うえの・あさたろう/シテ方観世流)存じ上げてるから、‘えらいのんが隣に来た’言わはってね。北の新地の幸葉(ゆきは)姐さん(=豊の女将の母)には、いっぱい、いろんなこと、悪行もすべて知られてはるやん(笑)。母がご挨拶に伺ったら、‘あんた隣に越して来んの?!えらいのんが来るなあ!’言わはって(笑)。でも、晩年、ちょこちょこ来てくれはってね」
上野「ちょこちょこ、独りでねえ。あんまり近くでは飲まなかったから。行ったとしてもね、その頃、同門の定期能を朝陽会館でやってて、終わると、幕の内弁当かなんかで乾杯して反省会して、天神さんの裏のお好み焼屋に…おいしかったから、あそこ」
豊「そうそう、“あたり屋”言うてね。おいしかってん」
“あたり屋”ってええなあ。懐かしい感じの名前や。
上野「よう行ったなあ…よう行った」
豊「今、電気屋さんになってる。昔、店終わって、母と、‘おなかすいたし、ほな、おばちゃんとこ行こか’って言うて。ほな、閉めてはんねん。きたない…えらい失礼やけど、きたない壊れそうなお家やねん。覗いたら、ガラス障子閉めてはって、中は白いカーテン閉めてはんねん。もう、いっぺん閉めたら、絶対開けはれへんねん。‘ひや〜、どうしょう’って言うてたら、気配で覗きはんねん。ほな開けて、‘あんたやったらええわ’言うて」
上野「そう!そう!そう!あのおかあさんね!」
豊「なかなか偏固な(笑)おばちゃんで」
上野「うん、そんな感じ。うるさかったんや」
豊「高下駄履いてね、下、漆喰のところで、カチャカチャ高下駄の音しもって焼いてくれはんねん。あそこのお好み焼、竹輪とか蒲鉾入ってたん憶えてはります?」
おいしそうななあ。なんかお好み焼食べたくなる(笑)
上野「あそこ、絶対、カラシを上に入れてはったんですよ。あれ、ルーツ、あのへんですもん」
今、わりとカラシ塗りますけどね
上野「あこの(=あそこの)、天満の有名になってるお好み焼屋さんが食べに来てたって聞いたことある」
豊「あのお好み焼屋のおばちゃんな、‘わては死ぬまでお好み焼、焼いてんねん’て、言うてはったけど、息子さんたちが心配して無理やり止めさして、どこかへ引き取らはったんやけど。えらいトシやし、高下駄でしょ。こけたり危ないことがあったんやと思うわ」
上野「モンペみたいなん履いてはりましたな、高下駄履いて」
ちっちゃいおばあちゃん?
上野「(笑)そうそう!今、音が聞こえたわ、高下駄の(笑)」
(笑) 雄三さん、よくそこへ食べに行ってはったんですか?
上野「うん。定期能が済んで、2次会には必ず。もう、決まりみたいなもんやった。うちの誰かが喧嘩して、でも、必ずあそこへ行く。必ず行く店やった」
そこ、行ってみたかったなあ |