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<花形能舞台>の人びと〜上野雄三

「義雄さん、辰年やね、朝義さんが丑で、雄ちゃんが申。お姉さんが亥に午。お母さんが亥」

上野「亥かな。ってことは…もうええ年ですねん…今年、80」

えっ?!80?!若っ!お若く見えますねえ

上野
「母には長生きしてほしいです」

「長生きなさいますよ。皆親孝行やし、ご苦労なさってるし」

上野「うん。その分ね、長生きしてほしい」

「私も大好きなお母さんや。うちの娘が扁桃腺になった時もオロオロしてたら、‘大丈夫、扁桃腺の熱は高いけど、子どもって強いもんやから’って、ちょっと言うてもらったことが、どんなにか力になってるか。たくさんお子さんお育てになったから心強かった。ええお母さんや」

上野「長生きしてほしいなあ」



 しまったなあ。
 よもやま話に花が咲きすぎて、あんまりご本人のことが聞けなかった。
 天満界隈の話もそうだが、このあと黒川能の話で盛り上がって、夜がどんどん更けていった。
 おいしいお酒だった。
 上野さんちの親孝行、兄弟仲のよさは私もよく知っている。
 私が、しばらく『豊』に居候をさせてもらっていた頃、何かの折に、お隣に田舎の葡萄を差し上げたことがあった。
 すると、その日のうちに、そこに住んでいない雄三さんやら義雄さんにまでお礼を言われた記憶がある。
 上野雄三は数年前に、命を危ぶまれるような大病を患った。
 その闘病生活の中でも、周りの人はもちろん、家族さえも気を遣うことのないように、常に気を配り、いつもどおりの“雄さん”だった。
 私は、しばらくの間、彼の病気がそんなに重いものだなんて知らなかった。
 豊の女将が、こんな話をしてくれた。
 「ある時、義雄さんが私にポロリっと仰ったことがあってね。雄ちゃんが元気にならはった時にね、‘雄三っていうやつはほんまにえらい。僕は、ほんとにもう、尊敬してます’って言わはった」
 真直ぐな義雄さんのことだから、本人には直接言わないだろうけれども、心底そう思っての言葉だろう。
 奇蹟的な復帰を果たした彼が演じた能、『融』を観て感じたのは、強くてしなやかなダンディズムだった。
 その舞台のことを私は新聞に書き、その記事を上野さんのお母様は、お仏壇に報告して喜んでくださったという。
 あの『融』を見た時から、私は、彼の『自然居士』を見てみたいと、ずっと思っていた。
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