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<花形能舞台>の人びと〜上野雄三
ご親戚っていうか、お母様の弟さんやから、叔父様にあたられるんですよね

上野「そう。でも、うちらの関係っていうのは、親戚やっていうたって、そこら中にいてはんねんけど、ちゃいますやん、普通と。‘おじさ〜ん’とか気楽な感じと違うでしょ。こんだけ(親戚が)集ってたら。母方(大倉方)の親戚って言うたら、大倉先生しかり、観世元信(かんぜ・もとのぶ/太鼓方観世流16世宗家)先生しかり、観世銕之亟(かんぜ・せつのじょう/シテ方観世流分家8世)先生しかり…」

歌舞伎だと、○○町のおじさんとか兄さんとか言うてはるけど

上野「そんなん、ないね。“大倉の叔父さん”なんていう言い方は、ちっちゃい時でもしてなかった。おっちゃんはおっちゃんやし、大倉のお祖父ちゃんはお祖父ちゃんやったんやけど…。昔、常盤町って、大倉の家のあったところに、母が僕ら子どもを連れて行って、寄り合ってる記憶があるんやけど。大倉の兄弟会みたいなのがあったんでしょうな。大倉の源次郎(げんじろう/小鼓方大倉流16世宗家)さんやら正之助(しょうのすけ/大鼓方大倉流)さんやら、暁夫(あけお/シテ方観世流/現・9世観世銕之丞)さんやら、従兄弟がみんな来てた。庭で写真撮ってもらって。なんしか、大倉家は兄弟姉妹が多かったから、子どももいっぱいいて、写真の中心に大倉のお祖父さんが座ってて。そんなん、1年にいっぺんくらいしてたかなあ」

壮観やろうなあ。大倉さんちと言えば、美男美女揃いやし。上野さんちもそうやし。男前3兄弟!

上野「いやいや(笑)、うちはそんなことないけど」

いや、私、笛のお稽古してた時に、初めて会に出させてもらった時に、大皮は義雄さんにお相手していただいて、笛の先生が「どや、男前の先生やったやろう?」って、そんなん、緊張して、全然見てなかったけど(笑) 。皆さんそうやけど、腰の低い方ですよね

上野
「(笑)やさしそうやけど、義雄兄さんやが一番怖い(笑)。短気で真直ぐなんですよ。そうそう、義雄兄さんがまだシテ方やってる時に、<千歳>(せんざい)を披いたときにね」

へえ、<千歳>までしはったんや

上野「そう。朝義兄さんが『翁』を披く時に一緒に。その時にね、<別火>(べっか)というのをやるでしょ?昔の朝陽会館やから、平屋で、格子戸を開けたら、ずっと庭があって、母屋の前にちょっと土になってるところがあって、そこでね、兄さんたちが二人用のテント組んでね、飯盒炊爨(はんごうすいさん)みたいなことしたりね。缶詰をバーナーで下から温めたりして」

楽しそう

上野「僕ら、まだやってなくて、‘ええなあ、あんなん出来るの楽しそうやなあ’と思てね。風呂も一番風呂でしょ。んで、なんせ、ご飯は自分らでやってた。アウトドアやね、敷地内で(笑)」

それは、お兄さんがおいくつぐらいの時ですか?

上野「若かったと思うよ。朝義兄さんが『翁』を披かしてもうたん、二十歳ぐらいでやってるんじゃないかな…」

その時、雄三さんはおいくつぐらいでしたか?

上野「僕、7つ下やから、中学校の時かな。絶対楽しそうやった。缶詰温めたりしてて、家で食べてるよりも、僕もあっちのほうがええなあと思た(笑)」

「いいですねえ。上野さんはご兄弟仲がええから」

上野「そんな中で、ずっとおって、怖いのは義雄兄ちゃん。義雄兄さんだけには、逆らえへんかったから」

「朝義さんは?」

上野「怖いんですけど、怖さがちがう。7つ上やから。義雄兄は、4つ違いやし、いろんなことにトライしてきてるし、子分みたいな感じやったんでしょうな、たぶん。義雄兄さんが行った学校へ僕も行ってるし。兄さん、大皮のほうへ進んでから、えらい引きすぎて(=遠慮しすぎて)…。でも、キレたら一番怖いっすよ(笑)、うん。今、そんなとこ、ちっとも出さないけど(笑)」

子分みたいにって、どないやったんですか?

上野「うん。拾うてきたバイクを直して乗ったり。兄さん、高校のクラブで自動車部に入ってたから」

バイク乗るっていうのやなくて、修理?

上野「そう。バイク、早く走るとかそんなんじゃなくて、動(いご)かんもんを動かすとか、そういうことが好きで」

(笑)せやけど、ハンドル持ったら人格変わるって話…

上野「今はそんなん!真面目ですよ!(笑)」

ふふふ(笑)
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