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<花形能舞台>の人びと2〜片山清司の場合〜

学生の頃、銀座のセゾン劇場でピーター・ブルックの『カルメンの悲劇』を見たときに、大きな壁で仕切ったり、土を入れたり、で、すごくシンプルで、ああいうので能が出来ないかなあってずっと思ってたんですけど

片山「実は『項羽』の時に、土入れようと思ったんですよ。そしたら予算オーバーでだめやって言われて(笑)」

迷惑ですよねー(笑)!土入れるなんて(笑)

片山「で、ギリギリ予算の範囲内で出来たのが、樋に水を入れて、その揺らめきを反射させることだったんですよ(笑)。それはそれで効果はあったと思ってるんですけど。土入れるのんは、アイデアはええけどお金がないからカット!って(笑)」

(笑)ああああ、やりたいこと、やりたいようにやらせてもらうのってほんとに難しいですねえ。ところで、この間、倉敷の実家に戻りましたらね、清司さん作陽音大で教えてはるって聞きましたけど

片山「そう。週1回、水曜日の稽古能が済んでから、新幹線に乗って通ってます」

この上そんなこともしてはるんですか?!立命館の大学院の授業もあるのに。

片山「立命館というと、立命館宇治高校の授業もあるんですよ(笑)。ここは学生さんも貪欲で、優秀な子もいたりして、非常にやり甲斐があるんですよ」

もっと若い人に知ってもらいたい、っていうのもありますよねえ

片山「僕は、どこでも一律っていうのじゃなくて、ピンポイントで続けてもらえるようなとこへ行って、なるべく手厚く道具立ても揃えてやってみようと。そのほうが意味があるんじゃないかと思うんですよ」

そうですよねえ。ということは、めちゃくちゃなスケジュールですよねえ。学校でも何ヶ所か教えて、もちろん素人のお弟子さんにも教えて、それから、いろいろ役員もなさってますし

片山「観世会の理事と、ここ(=(財)片山家能楽・京舞保存財団)の常務理事と、今度、能楽協会の著作権問題の担当になってしまって…他のことで必要があって資料を集めて、それでうっかり…」

あ、役員の誰かに見せてしもたんですね(笑)。そら、飛んで火にいるなんとやら(笑)

片山「資料送ったら、その日のうちに電話が掛かってきて(笑)。そんなんとても出来ひんって言うたんですけど…今日も晩に話し合いがあって…」

う…がんばってください(笑)

片山「今ね、父が元気で、父のお客さんとか、見る目があって意見の言えるような人のたくさんいてはる間に、いろんなものをしとかんとあかんと思って。演ってみて、どうやったかっていう意見を言ってもらえるっていうのが、一番の財産やと思うし。披かしてもらえる曲は、僕、今どんどん演ってるでしょ?『卒都婆小町』も演らしてもらったし…今度、僕の後援会で『安宅』を演るし、その前にもいろんなもの演ってて。それを批判する人も多いけど…」

ほぉん…まだ演るのは早いと…

片山「でも、やっぱり舞台で演ってみないとわからないとこがあるから…。僕は、解っても解らなくても、とにかく、いつ人に教えなあかん状態が来るかもしれない、というのもあるし。後に伝えていかなければならない立場にとっては、“恐怖”なんですよ、ほんとに」

それは切実ですよねえ…

片山「だから、なんとか、先生からもらったものを整理して残していきたいな、と思ってて。絵本のこともそうなんです。人からはバラバラに見えるかもしれないけど(笑)、自分の中では首尾一貫してて。一つ一つ、自分の引き出しに物を詰めて整理して、自分が次に使う時にちゃんと再構築が出来るようにしたいと思ってやってるんですけどね(笑)」

絵本を作る、というのも、絶対、舞台に生きてくると思います。例えば、『隅田川』のことを書こうとすれば、ずっとその間、『隅田川』のことを考えてるわけやし、文字数を減らしていって文章を切り詰めてゆくっていう作業は一番勉強になりますもん

片山「そうそうそう。それと、先生が、<本読み>が必要だとか、‘能は<語り>だ’っておっしゃってたことが、この頃ちょっとわかりかけてる、って言うと、偉そうな言い方だけども…。自分が謡うから<語り>なんじゃなしに、身体を使って動くとか、お囃子方が掛け声をかけたり自分の姿を見せてるっていうこととか…。そういうのがすべて<語り芸>なんだっていうことを(先生は)言いたかったんじゃないかなっていうこと。そういうのが、なんとなしに実感として甦ってくるのは、そういう作業をしている時だし。なにもページを増やすだけが<本読み>なんじゃなくて、逆に30ページぐらいのものを18ページに切り捨てないといけない、大胆にカットしてゆくこともまた、<本読み>なんやな、と思うんですよ」



 インタビューの中で、彼は「一番苦手とする分野を早く潰してしまいたい」と言った。
 その一つが、『安宅』のシテ、弁慶の役である、と。
 「<義経>というものは嫌というほど自分の中で整理してきて、スッと入っていける。ところが<弁慶>は、自分が死ぬまで演るつもりがあんまりなかった、ということに、ハタと気がついて、‘あかん!’と思って。3年前ぐらいから取り組んで、でも、なかなか踏ん切りがつかなくて…。少なくとも、自分が‘演る!’と踏ん切りがつくまで、“弁慶を通して『安宅』を見る”ということを自分の体の中に貯め込まなあかんな、と思ったんです」

 後日、件の片山清司の『安宅』披き(=初演)の舞台を見た。
 いかにも弁慶が似合う人や大柄な人には、到底、あんな弁慶は出来ないだろうと思われた。
 彼は、そう…、全身全霊で『安宅』を語った。
 目に見えたり、頭で考えたり、そういう表面的なことを遥かに超越したところにある、“片山清司の弁慶”であり“片山清司の安宅”というものが、じんじんとこちらに伝わってきた。
 それこそ、彼が二人の偉大な師から受け継いだ<能の心>であろう。
 どんどん輪郭がはっきりとして好い表情になってゆく彼の顔は、実に魅力的だった。
 これから、能を見続けてゆく限り、彼が初演する『安宅』に立ち会えたことを私は幸せに思うだろう。

一昨年、彼の『大原御幸(おはらごこう)』を見て、私は読売新聞にこう書いた。
 ——— ほんのり薄紅がさした蓮の花のような、清らかな美しさを湛えた片山清司の<時分の花>は、今、<真の花>への変貌の時を迎えている。———
 「清司さんと話す時って、昔っから、なぜか緊張してしまうんですよね(笑)」と、私が言うと、彼は照れくさそうに笑った。
 いたいけな少女にウカツに手を出せないような?(おっさんか!私は)…いやいや、ひたむきで、真剣で、真っ直ぐな人だから、いい加減なことを言ってはいけないような気がしてしまうのかもしれない。

 さて…、<花形能舞台>の地頭が片山清司である理由、少しおわかりいただけただろうか。

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