こちらへ戻られてから、その東京と京都のギャップみたいなものはありましたか?
浦田「そらあるよ。やっぱり6年間は大きかった。楽屋の雰囲気一つとっても、東京と京都では全然違うでしょう?でも、僕らは、こんな言い方したら誤解されるかもしれないけど、いずれは人の上に立って、若い人を育てないかん立場やから、ある意味、そういう人たちのやらないかんことを、身を以って経験するために、内弟子の修業をしに行くんやって、言われたことがある」
なるほど、社長の御曹司も平社員から始めろと。こちらへ戻られてから、心味の会(こころみのかい)を結成されましたよね
浦田「帰ってきて2年目くらいかなぁ。弟(=浦田保親/うらた・やすちか/シテ方観世流/浦田保利の次男)に、一緒に勉強会みたいなんをせえへんか、って言うて。そしたら、いつのまにか仲間が増えてて(笑)、僕が一番年上やし、リーダーってことになってしもて(笑)」
お兄ちゃんはたいへんなんです(笑)。<心味の会>は次で何回目ですか?
浦田「やろう言うて、なんやかんやで準備期間が1年くらいあったから、結成したんが平成6年で、旗揚げ公演が翌年の平成7年。次の公演で9回目です」
お差し支えなければ、何をなさるか教えていただけますか?
浦田「9回目は、茂山正邦(しげやま・まさくに/狂言方大蔵流/茂山千五郎の長男)君の『釣狐(つりぎつね)』をメインにして、<狐尽くし>の趣向で、保親が『小鍛冶(こかじ)』を演ります。僕は舞囃子で、何をするかまだ決めてへんけど」
では、最後に、『殺生石』の見どころというか、一番見てほしいところなどを。
浦田「やっぱり、後半の動きのあるところかな。作り物を出さない演り方もあるけど、今回はやっぱり“石”の作り物を出そうと思てるし。石が割れて後シテ(=石魂=妖狐の本体)が出てくるところなんかを…」
んー…と。私としては、保浩さんの前シテ(=妖狐の化身の女)に注目して欲しいんですが…
浦田「せやけど、今回は能を見たことない人が多いんでしょう?それやったら、やっぱり動きのある後シテのことを言うたほうがいいんとちがう?」
いや、でも、『殺生石』っていうたら、やっぱり前シテでしょう?
浦田「そらそうやけど、ある程度、能を知ってる人ならともかく、はじめてやったら、能って眠そうなもんばっかりじゃなくて、こんなに動きのあるものもありますよ!って言うた方がええんとちゃうん?」
うーん…。なんていうか…、今回の企画は、いくら初めての人にも見に来て欲しいからって、そういうのやなくて、『殺生石』なら、『殺生石』っていう能の、ほんまの面白さを伝えたいんですよ。っていうか、初心者には、『殺生石』の前シテのことなんか言うてもわからへんやろう、ってのが、そもそも違うと思うし。初めての人でも、‘そこ、注目してください’って投げかけて、どういうふうに見たらいいかをちょこっと伝授するだけで、そこで何かを感じようと思ってくれるはずです。そういう意味では、上演前のお話で私が何を言わしてもらうかっていうのも、責任重大やと思うてるんですけど。演じる側に力があるなら、私が楽しみにするのは、断然、前シテですもん
浦田「そんなこと言うてええの?」
(笑)ええんですってば。何言うてはるんですか(笑)
浦田「言うてええにゃったら、そら、やっぱり、前シテの<クセ>の、鳥羽院の御殿で燈火が消えて、暗闇の中で、玉藻前(たまものまえ=前シテ)の身体から光が放たれて、清涼殿を照らす場面とかやな!そら、こっちとしては、そういうとこ見て欲しいよ。でも、ここは<居グセ>というて、ずっと座ったままやから、じっとしたまま、玉藻前の妖艶さとか凄味みたいなもの、不気味な雰囲気を出さないといけない。地謡に負うてもらうところも大きいし…」
それそれ!保浩さん自身がシテとして、『殺生石』をどない思うてはるんか、っていうのを聞きたかったんです(笑)。今回は変に“わかりやすく”するためにどうこうっていうのは考えてないですし、そんなのはもういいんですってば!もっとお客さんの感性を信じたいんですよ、
浦田「なるほどなあ。実は僕、きーちゃんが地謡をどない謡てくれるか、すっごい楽しみやねん。僕がシテで、こう、舞台の上でじっと座ってて、じっくり聴けるのん」
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