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肝心の中野正貴氏の展覧会の中身について。
氏の写真集はリトル・モア刊『TOKYO NOBODY』に続くこれで2冊目、そしてこの個展。ということは、彼の才能とは劇的な出会いが?

氏のこの作品とは、数少ない運命的な出会いだったのでしょうか?
「いや、これは持ち込みを3回断った。前に一冊出してるけど、今回のはちょっとしんどかったから。最後の4回目でオッケーやったんや。僕は、一回、一回、勝負してる。だから、やるものによって、あ、それオモロイ!と思う企画があれば、何度でも一緒にやるし。それは、もう内容次第。全部なぁなぁでやってられへん。そんなことしたら、大変なことになる。しょーもない本が一杯になる!(笑)だから厳しい。」
「それに、写真は難しいわ。これで100%ってことがないねん。選び方とか、レイアウトとかですごく変わってくる。毎回、やってて難しいなぁって思う。ただ、最終的に、中野さんにしても、川内さんにしても、自分には写真しかない、と思って、もう全部でぶつかってる。写真っていうものがなかったらもう自分じゃないっていう勢いがある。それは分かるな、他とは違う。」
「ただ、そういう風に、全身全霊をかけてやらんとアカンかどうかは、分からん。だから、僕のやり方はこれで、僕はこういう生き方しか出来へんけど、別にそうじゃなくって、違うやり方でいいものを作れる人は凄いと思うし。それはあくまで方法論の問題やから、みんなそれぞれのタイプがあるんやし。自分の方法論が正しいとは全然思ってない。」

作品をみて、コレや!コレしかない!という判断はどこにあるのでしょう?
「直感みたいなものやねんけど、言葉ではうまく言われへん。例えば、僕なんて、本当に写真とか、絵とか、どうでもいい人生やったからね。『何や、高尚なことしやがってー』って思ってたけど、ある瞬間、分かった。こいつらも、自分と一緒なんやって思った。こいつらも、何かをしたいねんけど、それがうまく見つからなくって。もうどうしようもないってところから、結局、自分の好きなものに向かうしかなくて、それを表現してるんや、って。」
「そういうのが分かったのは、多分、いっぱい、いろんなものを見たからやなぁ。ものすごい数の持ち込みがあったり、自分でも写真展とか見に行ったりした。そしたら、半端なやつとそうじゃないやつが分かった。半端じゃないやつは、とにかく真剣で、何かやりたくて、もがいてもがいて、でもどうしようもなくて、それしかないって、表現してる。それが分かったときに、あ、自分と一緒やなっと思えた。『それやったら、やろう!』と思った。そういう瞬間がなかったら、作品集とか写真集とか、作ってなかったかもな。」
「だから、最終的なところは、その人の生き方が好きになれるかどうかちゃうかな?今度、ノーム・チョムスキーの本を出すんやけど、彼はやっぱり命をはって研究してるねん。それで、僕は、そういう人の本を出したいって思う。だって、彼は、命をかけてるもん。」

今の竹井さんの直感が、時代や流行とズレてくる可能性というのは?
「今、僕は41歳で、歳を重ねれば、多分、食べ物の好みとか、変わってくると思う。簡単なことでいうと、肉が好きやったのが、魚を食べるようになったりとか。ということは、当然、趣味とか嗜好とかも変わってくるよね。まぁ、自分が50歳になった時に、20歳くらいの子と出会ったとして、じゃ、その感覚がわかんのか、っていったら、多分、ズレてくると思う。それはしゃあないねぇ。」
「例えば、誰かと出会うでしょ。この人のこの作品が好き、と。それは、まぁ、恋愛と一緒やと思うねん。その人が好きやったら、何でも、できるやん。少なくとも、僕は、何でもしてあげたいって思う。ものを作るってさ、そういう情熱をどこまで持てるか、やね。
 でも、多分、歳とってきたら、すごく守るものが多くなってくるんやろうなぁー。つまり、捨てられなくなる。アホみたいにその作品のために命をかけられたりできなくなるのかもしれない。けど、相変わらず、命かけられてるんかもわからないし。」
「ものを作る時、最終的に、じゃぁ、何を信じんねん、っていう話やと思うねん。結局、信じられるものって、それはいつもどこまでもあやふややん。これでホントにいいんかなぁとか、コレ違うんちゃうかな、ってみんな迷ったり、悩むでしょ。それで、最後の最後の支えって何やろう、と。」

竹井さんにとってコレしかないという『コレ』は、何でしょう?
「それは、僕がみた奈良さんの絵やったり、川内さんの写真やったりするんやけど。
んー、それはつまり、リトル・モアやな。僕にとってのすべてやし。僕は表現家ではないねん。僕は、その本をリトル・モアで出せるかどうかをみる人。若手のものでも大御所のものでも、どんなものでもええけど、その作品がリトル・モアから発行するに値するかどうかを判断する人。それ以上でもそれ以下でもない。」

「全身全霊をかけて勝負」という強い言葉に、ちょっと逃げ腰気味の私がいた。「自分なりのベストを尽くす」というような、甘さはそこにはない。けれど、「厳しい」ことは、結局、「本当の納得がいく」ことなのかもしれない。
 新しい季節の始まりを感じ、ギャラリーをあとにした。

>> 中野正貴写真展
 
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