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 ひとつ、夢が叶った。
 <縁>という、目に見えない糸が、長い時をかけてつながった。
 なにをそんな大層な、と人は言うかもしれない。
 でも、けっして偶然ではない<縁>が、ゆっくりと縒り合わさって、この対談に結びついたのだと私は思っている。
 そして、その<縁>の中に自分がいたということの幸せを心から感謝している。
 私が巡り合ったすべての人に。
 これからもずっと…。

 桂米朝さんと竹内駒香さん。
 お二人の組み合せは、私がまだ学生だった頃から頭の中にはあった。
 いつ、どこで、どういう形で、という具体的な構想があったわけではない。
 ただ、憧れの人が、私の脳内フレームの中に、ごく自然に一緒におさまっていただけだ。

 米朝師匠の落語は、中学生のあたりからラジオをエアチェックしていたように思う。
 受験の時はもちろん、大学生になり親元を離れてからは特に、録音し貯めていた落語のテープを聴きながら寝るのが日課だった。
 小学校から高等学校までの間、岡山県の倉敷市にある実家の寺で過ごした私は、ナマの落語を聴いたことがなかったし、大学は、一足飛びに筑波に行ってしまったから、どこへ行けば米朝師匠の落語を聴けるのかも知らず、たまたま京都で独演会があるという情報が入ったので、筑波から京都まで出かけて行ったこともある。
 師匠の芸については「ぶちの独り言」の‘失われゆくものvol.3“聖域”(2)’を読んでいただきたい。

 駒香姐さん(<おっしょさん>と申し上げるべきかもしれないが、敢えて、<お姐さん>と呼ばせていただこう。)の唄は、大学に入った年であったか、東京・国立劇場の『京阪の座敷舞』で、はじめて聴いた。
 20年前のことだ。
 今も毎年催されている『京阪の座敷舞』は、四世井上八千代、故・武原はん、故・吉村雄輝といった方々をはじめ、上方舞の名手たちが一堂に会した催しだった。
 はじめて目の前で観た上方舞は、粋で軽妙洒脱、あるいは、静かで奥深い味わいのある世界を私に教えてくれた。
 その折、地方(ぢかた=伴奏の音楽を演奏する人)さんで、いっぺんに私の心を虜にしてしまった人がいた。
 その人が竹内駒香さんだった。
 当時は相三味線の藤田小道さんもご健在で、それから、舞の会の時には、お二人の名前を探すようになった。
 以来、上方唄『ぐち』は駒香姐さんでしか聴いたことがない。
 『ぐち』と言えば“竹内駒香”と言われるくらい、この人でなければ醸し出すことのできない<艶>と<しなやかさ>、そして、<強さ>がある。
 細い路地から見上げた、明け方の空の色が目に浮かぶ。
 何度聴いても涙が溢れてしまうのはなぜなのだろう。



上方唄『ぐち』
愚痴じゃなけれど
これまあきかしゃんせ
たまに逢う夜の楽しさは
逢うて嬉しさ別れのつらさ
ええなんの烏が
ええ意地悪な
おまえの袖とわしが袖
合わせて歌の四つの袖
路地の細道駒げたの
胸驚かす明けの鐘

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