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夕霧 |
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地歌や端唄を歌いながら振りを若い方に見せてらっしゃる先生を拝見して、踊りの師匠みたいで驚きました。それと、キッズプラザで子供さんに歌舞伎のお話をされて先生を拝見して感じたのですが、先生はとても子供さんがお好きですよね?
そうなんですよ。凄く子供が好き。楽しいしね。
上方歌舞伎塾とか、子供歌舞伎とか、若い方の育成にも力も入れてらっしゃいますが…。
子供歌舞伎は、長浜と丸岡町と関宮町と小松と・・・4箇所位行ってますね。
関宮町は兵庫県の八伏高原の下に国宝級の農村舞台があるの。そこの農村歌舞伎が40年途絶えてて、何とか復活して伝承したいということでね。
丸岡町は中座の破風とか桟敷の手すりとかを寄贈してましてね。そこに劇場を作りたいということなんですけど、劇場が出来るのを待つのではなく丸岡の町の人にも歌舞伎を知ってもらいたいということで3、4年位前から行ってます。
長浜の子供歌舞伎は有名ですが、あそこは300年位続いてて、僕は23年位前から行ってるのかな…。
先生の演出家としての思いをお伺いしたいのですが…。
歌舞伎の古典は、その家のやり方とか伝承があるから役者さんに任せたらいいと思うんですよ。
だから我々の仕事は、歌舞伎を歌舞伎としてやるんではなくして、現代に通じる歌舞伎、実験的な歌舞伎をすることではないかなあと思います。ただ、今は新しい歌舞伎っていうと早変わりとか、宙乗りとかスペクタル性を追求することが主流になってるけど、僕はドラマをやりたい。ドラマを大切に芝居をしたいと思いますね。古い歌舞伎を知った上で、現代にも通じる情、親子、男女、様々な情愛を大切にした芝居をしたいと思っています。
僕が今までの自分の仕事を振り返ると、第一次は徳三郎さんと仕事をした時期。第二次は、徳三郎さんと決別して、そこからまた自分を何とかしたいと思って、自分を仕込んだ時期だったと思うんですね。
色んなことがあって、腹が立ったからいうて、「もうええわ」で芝居から離れることなんて出来ないし、芝居が好きだから離れたくない。なら、少しでも仕事がやりやすいように役者と互角に仕事をしようと思ったら、御曹司の人なんて子供の時からずーっと良い師匠についてやってきてる人らやからね。だからそこまでいかなくても、音の違いがすぐわかるとか、そんな位にまでは自分は高めていこうと思いましたからね。
今、子供歌舞伎や上方歌舞伎塾や高校の指導や、人に歌舞伎のこととかをお話させて頂いたりしてますが、歌舞伎を皆に知って貰いたいし、そうして関わってもらうことで関わった人たちが「今度は松竹座に観にいきます」とおっしゃって下さいます。
歌舞伎というのは観客と役者が一体となる芝居、息があうことによって楽しい芝居やからね。そのためには歌舞伎のことを知れば知るほどもっと楽しくなる。知識が大きいと楽しいということですよ。それは、お寺の鐘と一緒。爪楊枝みたいな細いもので打ったって大した音はでないけど、円の大きなたっぷりとしたもので打ったらゴーンといい音がなるでしょ?
もっと歌舞伎を楽しむために、もっと歌舞伎を観て、知って頂きたいし、そうしたきっかけ作りとなる仕事も大切だと思います。本当に全ては人やからね。 |
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