去年の、夏も終わりに近づいたころ。
私は、ワッハ上方のロビーにいた。
落語会の中入で電源を入れた途端、携帯電話が震えてびっくりした。
山本哲也 ——。
(なにやろ…私の書いた能楽評で気に入らんことでもあったんにゃろか…こりゃ、ちとコワモノじゃわい…)
「今、たっちゃんと飲んでんねん。でな、いっぺん話聞いてもらえへんかな」
「へ?」
なにはともあれ、話を聞こうと思った。
私も、彼らと話したいことがあった。
後日。
扇町ミュージアムスクエアの<サルーン・リペア>にて。
ご存知の方も多いと思うが、ちょっと前まで<スタッフ>という名の店だった。
二十年近く前、ここでよく<ツクスマ>というユニットのライヴがあった。
<ツクスマ>は、大倉正之助(おおくら・しょうのすけ/能楽大鼓方大倉流)と大倉源次郎(おおくら・げんじろう/能楽小鼓方大倉流16世家元)の兄弟に、藤田六郎兵衛(ふじた・ろくろうびょうえ/能楽笛方藤田流11世家元)と上田悟(うえだ・さとる/能楽太鼓方金春流)が加わって、'80年代を中心に活動した能楽の囃子方のユニットだ。
山本哲也、成田達志のちょっと上の世代で、それまで能の囃子方だけでライヴを行なうことなど思いもよらなかった能楽界に新しい流れをつくった。
<ツクスマ>には、個々の才能もさることながら、パイオニアとしての勢いと若さの輝きがあった。
そして、<ツクスマ>に続く世代にも様々なユニットが生まれた。
だが、それらは、舞台に対する姿勢を同じくして理想を追求するために組んでいる、ようには、私には思えなかった。
決して理想を追求していないわけではなかろうが、まずそれがありき、ではなく、グループでやれば、その分の出演料はいらないから、とか、マスコミに取り上げられやすい、とか、一人では観客が集められないから、という理由が先行しているように思えた。
それも必要なことだが、限界がある。
TTRの二人も、他の仲間と一緒に<響(ひびき)>というユニットを組んで活動していた。
昨年、最終公演をして事実上活動を停止した<響>は、また、指導者を招いて定期的に<稽古能>と呼ばれる非公開の勉強会を続けていた。
公演活動そのものよりも、そういった、一般には知られることのない地道な活動を続けていたことのほうを評価したい。
<花形能舞台>は、その活動があったからこそ、生まれてきた欲求だろう。
勉強会を続けながらも埋められなかったものがどこにあるのか、彼らは気づいたのだ。
グループで活動する限界を思い知った彼らが、また二人で組んで何かをやろうとしているならば、もっと違う展開を考えているかもしれない、と私は思ったのだ。
嬉しかった。
ずっと待っていたのだから。
私と同じ時代を生きて、これからも同じ時代を歩んでゆく能の役者が、新たな挑戦をはじめる姿を。
そして、私に声をかけてくれるのを…。
きっと、私の心に何かを残してくれる舞台になる。
だから、一緒にやろうと思った。
そういう舞台をみんなに観てほしいから、<花形能舞台>と名づけた。
7月の公演に向けて、次回から別枠で<花形能舞台>報告を続ける。
それぞれ個々にどんな思いを持っているか、また、稽古の様子などもアップしていきたい。
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