劇団「前進座」との出会い
前進座さんとの出会いは?それまでお芝居は観ていらしたんですか?
「いやいや全然。前進座も知らないし、芝居は学校演劇を観たくらいでした」
それが何故芝居の道に?
「いやあ、僕もよく分からないけど、何もすることなかったんじゃないかなと思って・・・」
(笑)職業野球もアカンかったし、仕事は好きじゃないし。
「そうそう(笑)。若かったし、演劇したり、東京にでたりしたら何か楽しいことがあるんじゃないかなーというような、漠然とした思いがあったんでしょうね。
京都にね、すわらじ劇園という共同生活してる劇団があるんですよ。そこに行ってみようと思って受けたんですよね。朗読して‘いいですよ。じゃあ来て下さい’と言われたんですけど、でも僕一人しかいなし、不安というか寂しいしね。それで、劇団の人に‘他にはどんな劇団があるんですか?’って聞いたんです。そうしたら‘前進座なんかはいい劇団ですよ’とおっしゃって、それで前進座の養成所の試験を会社の合間、土日に受けに行きました。
前進座のことはね、京都でたまたま、テアトロ演劇特別賞をお取りになった先代の國太郎さんの寄稿文を読んでいて、その時は知っていました。ちょうど養成所の募集記事もあって何となく見てましたから。
実はその前に民藝と四季も受けていたんですけどね(笑)」
どうでした?
「いやあ全然。書類選考で駄目でしたよ(笑)。前進座か国立の養成所か、どちらかとは思っていましたけどね。どうしてか自分でもわからないですけど・・・」
前進座の試験はどんな内容だったのですか?
「新聞に出ているような一般常識、演劇の常識、作者が誰それとか、後は実技。朗読と短いエチュードですね。部屋にいたら電話が鳴って、ある人が交通事故にあってしまったという知らせが入ったとか何とかねえ」
合格発表はどれ位で頂けました?
「それが遅かったんですよ。試験受けて25日位経っていたかな。まあ、駄目だったら、このまま仕事を続けて普通に暮らしていけばいいやと思っていました。補欠で入ったんですけどね」
補欠だったんですか?
「補欠でも、やることは一緒ですからね。別に気にせず(笑)。僕の時は、朝10時から5時まで2年間だったんですよ。僕らの期以外は隔日とかだったんですけどね。2年間朝から夜まで毎日でしたからね、何も出来なかったから本当に助かりました。帯から結べませんでしたからね。」
前進座が歌舞伎をされるというのはご存知だった・・・?
「ええ。もちろん知っていました」
歌舞伎の女方に惹かれるとか、何かあったんでしょうか。
「多分あったんでしょうね。抽象的で言葉にはならないけれど」
学費はいるんですよね。
「ええ、いります。講師の先生方の顔ぶれからすると、物凄く安いですけどね」
生活費とかはお家からの仕送りですか?大変ですよね。
「そうですねえ。叔父も近くにいましたし・・・。でも今思っても楽しかったですね。悲惨でしたけどもねえ(笑)。2年間、一生懸命でした。
一年目が終わった時に中間発表があって、二年が終わって卒業公演をやるんですよ。それが卒業試験みたいなものですね。後は面接。
一年目は西鶴の「樽屋おせん」、卒業公演は「堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)」の彦九郎をやりました」
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