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女方と立役と

菊之丞さんは女方さん?立役でのご活躍も多いですが・・・

「初めての役は女方だったんですよ。“奥州白石噺(おうしゅうしらいしばなし)”の振袖新造。養成所の時です」

前進座さんの中でも、ずっと立役だけをされている方がいらっしゃいますでしょ。
菊之丞さんは何故、女方もされるようになったのですか?


「やっぱり先代の国太郎さんの存在でしょうね。国太郎さんとはすっごく相性が良くてね。あの方のご先祖は滋賀県の日野町なんです。贔屓にしてくれたというか。大変お世話になりました。
養成所時代に何故“奥州白石噺”に出られたかというと、三鷹に國太郎さんのお家があって、芳三郎さんの奥さんが国太郎さんの娘さんでしょ。その方に踊りを習いに行ってたんですけどね、そこで国太郎さんに出ないかと声をかけて頂きましてね」

それで養成所時代にお芝居に出演されたのですね。

「ええ。4月に入って10月に出ました。でも、国太郎さんは僕に女方を、とか、立役をとか、いうのではなかったと思いますよ」

“親鸞”の時でしたか。お殿様で褌姿でしたよねえ。

「ああ、ああ、あれね(笑)」

女方の方が、裸武者をするようなものでしょう?

「でも、上方歌舞伎は両方でしょ」

ええ。でもそれは和事の立役とか前髪とか、もっと柔らかいものじゃありません?

「あ、それでもね、演芸画報みてたら、先代の梅玉さんがね、千本桜の“すし屋”で梶原なさってましたよ。あの方は立女方でしょう」

ああ、そう言えば菊五郎さんとかもそうですね。

「そうそう、“法界坊”までなさるでしょ。前進座は特にそんなのはないですから・・・。僕も、もともと一時は女方をするのが少なかったんですよ。けれど、芳三郎さんが亡くなったでしょ。それで立て続けに、“佐倉義民伝”の女房おさんとか“魚屋宗五郎”のおはまとか“一本刀”のお蔦とか、必要に迫られて・・・それからですよ。先代の國太郎さんも‘女方やってた方がいいよぉ’と言っていました。色気がつくという、役の順序からいってもね。今の国太郎さんが入ってきてからは‘立役やりなさい’って、おっしゃいましたけど(笑)」

(笑)女方と立役では身体の使い方が随分違いますでしょう。

「そうですねえ。実は最近ね、ダイエットして痩せたんですよ。そしたら女方の拵えしてもそんな大きくならなくなりましてね」

だいぶ痩せられましたよねえ。羨ましい〜。

「(笑)今まではね、肩から胸のあたりが何かパンパンと張っていたんですよ。痩せて、そうしたら、女方出来るかな〜と思えてきました。まあ、娘は出来ませんけどね」

花車方(かしゃがた)ということですね。痩せられたのは役作りのためですか?

「そうです。“三人吉三”もありましたから。やっぱり、立役でもスッ−としてる方がいいじゃないですか。ご覧頂くのが仕事ですからね」

5月は国立劇場で“髪結新三”手代忠七ですね。楽しみです。
(http://www.zenshinza.com/stage_guide_section/stage_guide/kamiyuishinza/kamiyui_top.htm
ところで、今は関東にお住まいですが、関西弁はいかがですか?


「何かね、混ざるんですよ。女流義太夫の駒之助さんに近松のご指導頂いたりしましたが、やはり義太夫狂言の場合は、関西の人間は音が拾いやすい気がしますね。
みているとね、普通に話せばいい所を意識しすぎて変にえぐったりしてしまうんですよ。違う方、違う方へ行ってしまう(笑)。義太夫訛りというのは関西弁とはまた違うし、江戸弁は江戸弁があって、これが面白いことに関西の訛りが入っている」

そうです。入ってます。入ってます。

「面白いですよね。どんなことでもチェックして、変と気づいたら軌道修正するというのは大事なんですよね。野球でも間違えたフォームのまま練習していては、努力すればするほどどんどん遠くへ行ってしまいますからね(笑)」

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