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編集後記

 ゴジラが艶かしい!。放射能によって生まれた怪獣なんだけど、命を持つ生きものとして存在している。暴れ狂う姿は現在の人間にも見えてしまうくらい。久しぶりにゴジラを見て感じたことだ。第一話「ゴジラ」(1954年)は単なる子供のための娯楽映画ではなかった。世界が認める日本の特撮映画。特撮に限らずアニメや漫画などのサブカルチャーと言われているものが、日本の文化として注目されるようになったのは何年も前のことである。そしてテレビと共に育った世代は(1965年生まれのヤノベケンジも)その影響を強く受けていることは言うまでもない。

 実はゴジラ(最新ゴジラ60m)とほぼ同じ大きさである太陽の塔(70m)。周知の通り'70年大阪万博の時に過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴として岡本太郎によって創出された巨大な造形物。内部には45mの「生命の樹」があり、そこには単細胞の原生生物から人間が誕生するまでを年代ごとに代表的な生物の模型で示されている。(一部はまるで生きているかのようにに動いていた。)もしかしたら人間の進歩と調和をうたったこのとんでもない創造物と、人間の進歩(放射能)が生み出した破壊のゴジラは正反対にありながら、同じ観点に立っているのかもしれないとも思えてきた。

 このワークショップでは、立場は違えども品田、ヤノべ両氏の怪獣に対する愛がエネルギーとなってワークショップ参加者にも伝わり、エキサイティングな時間をみんなが共有していた。一方的に与えたり与えられるというのではなく、それぞれが何かを得ることが出来たのだ。

 そしてこのワークショップを首謀者であるヤノべは今まで考えていた怪獣の定義、いわゆる映画などに出てくる恐竜型のものというよりは、もっと漠然とした抽象的な存在、何ものでもない恐怖の存在であるとか、自分の内面を導き出すものであると確信出来たようだ。フットソルジャー(ゴジラ)以外彼の作品はいわゆる怪獣の形態をとることはほとんどなかったが、彼自身の中では怪獣のようなものだと思っていたのだ。

 そして、今回のワークショップからヤノベケンジの美意識が立体としてどのように結実され、どんな怪獣が創り出されるのか?聞くところによると、審査で選ばれた作品をそのまま立体化することはどうやらなさそうだが、ワークショップ参加者のスピリットを吸収し、彼の中で昇華されたカタチを提示してくれるに違いない。それが美を追求するという美術家としての仕事だということをヤノベ自身、自覚しているのだ。

 来年2003年、万博記念公園にある国立国際美術館において展覧会を予定しているヤノベケンジが何か企んでいることは間違いなさそうだ。「未来の廃虚」とよび彼の原風景であるこの場所において何も起こらないはずがないのだ。はたして「ゴジラ対太陽の塔」の復活はあり得るのか?

 新怪獣映画復活の行方、今後も、おっかけ報告していく予定です。


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