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3.日本産の怪獣

 実は怪獣映画は世界中では何度か作られているんですけど、今だ造られ続けているのは日本だけなんですね。日本人の資質に向いている、日本独自の伝統的な芸能とでも言いましょうか。

 品田さんは実際にこだわりをもって造りながら、どうして自分が怪獣造形にこだわりがあるのかとか、怪獣とは何なのかという問いかけをしながら仕事をされている。そういうところがとても興味深いんです。例えば、怪獣とクリーチャーの違いがどこにあるのかとか?
 年に何回か聞かれることがあるんですよ。
 今はまた仮面ライダーもウルトラマンも復活していますが、若い人で怪獣不在の時期に育った人達がいてて、スターウォーズやエイリアンなどの特種メイクを見て育った世代なんですけど。
 聞かれて答えられなかったことがあって、それから3年ほどずっと考えたんです。アミニズムだ唯物神だ八百万(やおよろず)だとかいうところに辿り着くんですが。安住の地を追われ唯物神を信じてた人々は、土地の恩恵を受けずに自分達で自己を確立して、それが正しいと信じた。荒れ地を開拓して新天地アメリカを築いた人間などは、土地の豊かさからの恩恵、日本人があたりまえのように受けている緑や土や川や山っていうものに対する畏敬の念とは違って、自分たちが領有する大切な大地や土地といった所有の観念をもっているのではないでしょうか。

 そういう人にとってクリーチャーは犯罪者と同質の恐怖となるんです。個人が攻撃されるという恐怖。怪獣は台風や地震、などの天災や戦争といっしょで何千何万という人間が等しく死ぬ。それが通り過ぎた後は戦後の焼け跡のようになってしまう。
恐怖というよりは不安、天災ですよね。日本は江戸時代以前から飢饉や地震や火災で何度も家がつぶれてて、その度に建て直している。家が石造で絶対壊れない家を作っている地域の人と根本的に違うんですね。
 アメリカでウルトラマンを作ったことあるんですけど、日本てみんな山と海に挟まれた狭いところに住んでますから、怪獣が出るとすぐに町があるんですね。アメリカの場合、いきなり砂漠の広野に現れて周りに何もなくて50mもある怪獣が100kmも200kmと歩いても、都市に到達しないんです。これでは話にならない。(笑)
 怪獣ものはあたるので世界中で作られているけど、2作目が作られるのは日本以外にはない。怪獣のキグルミはちゃちなんだけど軍隊が全面協力して実弾打っている国もあったりするんですけど、日本の場合、レーザー砲を打つ場面なんかがあると、「自衛隊はそんなものは持ってない」って協力を断られたりして、特殊車輌とか撮影用に作ってたりするんですよ。でも実際そういったものに対するこだわりがフェティシズムとなって画面から現れる。大人が真剣にやっているばかみたいなこと、しかも団体芸でやっているっていうのは非常にフェティッシュでありエロスになる。
 怪獣による大量破壊というくだらないものの最たるものを大枚は叩いて手間ひまかけて、日本人はまじめですから、真面目に作るんです。まじめにやってる無意味な結果っていうものほど、実はそこにエロスがあり、愛着が出てくるんです。子供の真剣な積み木遊びが大人にシフトしたと言ったところでしょうか。女性に対する願望や欲望と似てたりもするんですよね。「生産と破壊」、台風が来るとワクワクするでしょ。日常に非日常が近付いてくるとか、怪獣が都市を破壊するカタルシスというのは自分の閉息した状況や退屈した日常を壊してくれる。無に返してくれる。
 今の社会にリセットをかけたいという願望を持っている人がたくさんいると思うんですが、それを代償行為として見せてくれるのが怪獣映画じゃないかと。そしてそれを創れる性質を持っているのは日本人だけのようで、意外にアメリカでもマニアだけでなく広く一般に愛されているのは、日本産のゴジラなんです。アメリカでゴジラ映画が作られた時に「ゴジラじゃない」って日本人と同様の反応をアメリカ人もしたわけですね。文化は違ってもスピリチュアルな部分は伝わるんだなあと実感しました。

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