
7月7日。草間彌生in Osakaの2日目は、七夕さまの日でもある。天気予報は台風の上陸を告げていたが、空はピーカンの晴れ姿。草間マジックは、台風も吹き飛ばしちゃう?
第三幕の舞台は、西天満のブックセラーズ・アムズ。書店とギャラリーを併設するこの場所で、草間さんと谷川渥(國學院大學教授・美学)氏とのトークショーがセッティングされたのだ。
会場は立ち見客も出る盛況ぶり。それでも、かなりの数の予約申し込みを断ったらしい。児玉画廊やgmで見かけた人達とは、少し客層が違う。ちょっぴり年上で、ちょっぴり服装が地味で、ちょっぴり読書派のよう。
早くから草間芸術の理解者として活発な活動をされてきた谷川氏がお相手だったからだろうか、今日の草間さんは顔色もよく、ニューヨーク時代の話に花が咲いた。
「ええ、そう。私がいなかったら、あの頃のニューヨーク・アート界の地図はずいぶん違ったものになったでしょうね」
トークを象徴する草間さんの言葉だ。詳しくは、『無限の網』をお読みあそばせ。
トークショーの後、美術のライターをしている友人をつかまえた。
「面白かった。内容は、著書や本で知っていたことだけど、やはり草間彌生さん本人から語られるのは、感慨が違いますよ」
1960年代に東京で実験的な試みをしていた『内科画廊』を研究している女性にも会った。
「同じ60年代でも、ニューヨークと東京では起こっていたことは違うのだと改めて思いました。『内科画廊』と草間さんの接点はなかったようですが、御存知だったらお話をうかがいたいですね」
----草間さん自身は?
「きれいな方ですよね。服も指輪も素敵!」
トークショーの後、谷川氏にお話をうかがう。
----今日は、草間さんもずいぶんリラックスされて長い時間お話してくれました。
「今日は、まあ年代順にいろんな話を引き出そうと思っていたんです。これだけの聴衆の前で草間さん自身が話されることは滅多にないことですから、基本的なことをお話しようと考えていました」
---ニューヨーク時代のハプニングや、ジョセフ・コーネルの話題では、かなりきわどいエピソードを話されていましたが。
「まだ序の口ですよ。でも、ヌードになったり、ヒッピー達と乱痴気騒ぎをしても、草間さんは、何ものにもけがされない処女性がある。今も、少女のような雰囲気を持っているでしょう」
----今、若い人達が、非常に草間さんに関心があるようです。この現象をどう思われますか?
「30年スパンで時代がぐるりと一周したようですね。草間彌生に限らず、土方巽や渋澤達彦らも人気があるようだし。30年周期で再評価が高まることはよく言われることだですが、日本に関しては、1960年代、70年代に世の中を騒がしていた以上のアートが、今はないからではないでしょうか。草間さんも含めて、中西夏之や荒川修作らがあの時代にやっていたことは、今の新しい作品よりははるかに力があるから」
----若い人達はレトロな憧れよりは、時代のエネルギーそのものに惹かれているのでしょうか?
「そうでしょうね。でも、少しポップな現象になりすぎているようですが。本来、草間彌生もその作品も、もっと毒のあるものなんです。30年前は、一般の人達に嫌悪されていた。今は、愛されすぎているかもしれません」
----懸念もありますか?
「でも、それも激動してきた草間さんの人生ですから。このように、今、世の中から認められ、愛されることは、彼女にとって幸せなことだと思います。いい人生ですよ」
草間彌生の人生の上に、若いアーティストやgrafメンバー達の人生が重なる。何かが伝わり、形になり、また次へ。空間だけでなく、時間軸の上でも草間彌生は増殖していく。
トークの後、アイドルのように“出待ち”をしていたファン達に丁寧にお辞儀をしながら、草間彌生は真っ黄色の車にのって去っていった。風が吹き抜けると、晴れ晴れとした寂しさが残った。
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