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 草間スタジオと交渉を重ねてきたgrafの豊嶋秀樹さんも話しに加わった。

豊嶋「草間さんの作品は、他者の解釈を許していると思うのです。構造的に広がっていくように出来ている。と同時に、どれだけ広がっても“草間彌生のアート”として収斂されていく。そんな双方向の力を持っているんです。僕たちも気持ちのいい巻き込まれ方をしました」

----草間芸術を実用性のある家具にデザインしていくポイントは?

豊嶋「通常の家具デザインとは違う“思想”かもしれません。僕らがやりたかったのは、“アートと生活の循環”で、家具以外の方向性もありえたわけです。まあgmは、家具製作を主な事業とするgrafが運営するギャラリー・スペースですから、家具にするのが一番自然だったのですが。テキスタイルは、草間芸術そのまま。手の加えようがないでしょう。そこからいろいろ考えていって。たとえば『星』のラウンジソファ・セットは、1968年に草間さんが行ったハプニング『不思議の国のアリス』の中に、巨大なアリスの銅像にハプニングに参加した人達が座っているシーンがあるんです。このラウンジソファ・セットは、何人かの人が座った時にそのシーンを連想させるような姿勢になるように作っています。時間も空間も超えて、1960年代と2002年が同時進行するシーンを作りたかった」

----“アートと生活の循環”といえば、『星』と『黄樹』のテキスタイルを計り売りする予定だそうですね。

服部「そう。そこが大切。テキスタイルを購入した人が自分でバッグやスカートを作ることが出来るんです。もっと予想もつかないものや形になって使われるかもしれない。そうして街や個人の部屋に、草間芸術が増殖していく。そうなった時に、僕たちのコンセプトである“日常(生活)と非日常(芸術)の循環”が成立するんです」

豊嶋「このプロジェクトが立ち上がった頃、パリで草間さんの展覧会を見たんです。ロジックを超えた世界で、完全に作品が自立している。しばらく、その場を立ち去れないほどのショックを受けました。それほど強力な吸引力を持つアートに出会ったことは、ほとんどなかった。身体的に感じている感覚は、遊園地のミラーハウスと同じかもしれない。でも、そのベースに自立した作品世界がある。この世界に草間さんは住んでいるのかもしれない。草間さんの日常が僕にとっての非日常で、僕の日常は草間さんの非日常かもしれない。その両方をリンクさせるもののひとつとして、『家具』を提案したんです」

 1960年代に数多く行われた草間彌生のハプニングは、日本ではずいぶんスキャンダラスな三面記事として伝えられたらしい。60年代後半から70年代初めに生まれたgrafのメンバー達は、そのことはほとんど覚えていない。ただ、時代の熱気を吸収、体験してきた。30数年を経て、彼らは自分達の記憶を形にしている。自分達を育ててくれた時代に、敬意を込めて。

 1973年に体調を崩した草間彌生はニューヨークから帰国し、病院でセラミックの作品やコラージュを作っていた。自身のうちに潜り、飛翔の機会を願う当時の作品群と、児玉画廊で出会った若いアーティスト達は、シンクロしているのかもしれない。

 どちらにせよ、私達は、時代の空気としての草間彌生を呼吸しながら育ってきた。

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