あの、ニュー・ミュージック・アクションって、危機感をもって、演奏家の人たちを育てるとか、そこからいい音楽を作って行きたいということで、月に1回のペースで始めたじゃないですか。それからしばらくして、F.B.I.今度は1年に1回、海外の人も呼んで、ものすごい人数で長い時間、フェスティバルをやる、と。そのふたつのやったことの関係っていうのは、内橋さんの中でどういう位置付けになってますか?
あのね、ニュー・ミュージック・アクションはあくまでワークショップなんで、こう、どんどん新しい人たちが出て来て、そこでいろんなことが起こり、で、どんどん経験も積んで、面白くなっていって、いろんな風にみんなが変わるんですよね。どんどん変わっていく人っていうのは、やっぱり面白い人なんだけど。そう変わりながら、「お、こいつはちょっと面白いな」っていう段階に来た時に、F.B.I.に出てもらうんですね。結構、だから、ニュー・ミュージック・アクションって、少しヘンな言い方をすると、F.B.I.に出るための登竜門みたいなところがちょっとあって。ホントはそんなつもりはなかったんだけど、僕自身はあそこに出なければ、F.B.I.に出れないよっていう意味合いは持たせてたつもりはないんですけど、結構そういう風な風潮になっちゃったところがありました。ちょっとマズかったなと思うんですけど。ただ、あそこで面白いヤツはどんどん出てもらいたいと思ってたし、あそこは知り合う場所なので、知り合ったことによって僕の中でも、こういう人とこういう人が一緒に演奏したらどうなるのかなとか、面白いんじゃないかな、とか考えるわけですし。そういうものを拡大したものがF.B.I.であって、だから実質的には、やってることは同じなんです。まったく同じもの。ただ、F.B.I.に関してはもっとゲストも呼んで、東京からも海外からもゲストを呼んで、もっとそれを大きな形でやるもので、それの地元でやっているバージョンが、ニュー・ミュージック・アクションなんです。
ニュー・ミュージック・アクションみたいなものが、F.B.I.をきっかけに、いろんなところへ拡がっていったらすごく面白いですね。勝手にね。(笑)
東京でもワークショップっていうのはすごく増えましたよ。うちの連中とか最初は東京から大阪までとか、来てました。でも、しょっちゅう来れないし、じゃ東京で、って始めて、今3カ月に1回くらいでやってるんですよ。そういう状況はよく聞きますけどね。ま、続いているのかどうかは、分かんないですけど、北海道でも始まったし。
F.B.I.は、今回で8回目ですが、簡単に1回目からいつで、とか・・・?
覚えてないなぁ。
あ、覚えてない?(笑)
覚えてない。(笑)でも、1回目から5回目まではジーベックですよね。96年が最初だから、96年から2000年まではジーベックホールでやらせてもらって、最初の3回はオールナイトやったんですよ。朝の5時まで、始発まで、ははは。(笑)
お客さんはステージで寝て、寝てる人を朝の11時とか12時くらいから演奏で叩き起こして、みたいな、そういうひどいことをやってましたね。(笑)それで1年間お休みしたんですよ。結局ジーベックホールで、今までみたいに良い条件で使わせてもらえなくなってしまったっていう事実もあるんだけど。あとオールナイトっていうのが厳しくなったりとかね。いろんな条件ももちろんあって。で、どうする?どうしようか?っていうことになってたんだけど、無理矢理続けて、どっか場所探して、仮にでも始めるっていうのも、あまりにもリスキーなんで、僕ひとりでやってるからね、僕個人のお金でやってるから、リスキーなんで。とりあえず、もう、1年休もうって。で、そうこうしてる時に、ここの話が一応あったんですよ。BRIDGEっていうね、まだ名前はついてなかったんですけど、ここでなんかそういうのをやらないか、と。ま、スペース運営ですよね。やらないかという話が、軽くきてたんですよ。で、もしそれがいければ、もう、それにのっかっちゃおうって思ってたんだけど、その年は流れて、その話しは。で、だから結局2001年っていうのは何にもない状態で、とりあえずお休みしようっか、と。長い間やってたし。それでその次の年にここの場所(注:BRIDGE)っていうのが、正式に動き出したので、じゃ、ここでF.B.I.を続けようと思って。
その時、NPOでビヨンド・イノセンスというのを立ち上げて、活動が始まったんですね?
そうです。2001年の11月ですよね。ちょうどだから、F.B.I.がこけらみたいな状態になっちゃったんですよ。
御迷惑をおかけしました。
いえいえ、そんな。もう5年間もお世話になりました。こっちからすれば。よくあんなむちゃくちゃなことを、させてもらって。感謝してます。
ただね、場所が違うって、またすごいんですよね。ただのフェスティバルっていうのではなくて、やっぱり“場”なんですね。場というのは、ま、スタッフみんな、アクションで知り合った若い子たちばっかなんだけど、とにかく場を作るってことが一番面白かったんですよね。もちろん、演奏の内容とかっていうのは、もう任せるしかないし、良い演奏してもらいたいので考えてプログラムは作りますけど、それはもうやってみなきゃわかんないわけです。ただ、その場所の雰囲気っていうのを作るっていうのが、すごい大事なことで、だからそういう意味ではいろんな趣向を凝らしてね、ジーベックっていう場所だからこれができる、じゃなかったら、これができない・・・、っていうことをやっぱりやっていかないと、面白くない。だから、ホワイエでやったり、中でやったりとか、両方で演奏もあったりとかね。あと食事もあったりとか。そういういろんなもの、いろんな要素でお客さんも飽きないように考えて、そういう風にしているうちに、雰囲気が良くなってくれば、音楽を聞いてても楽しくなるわけですよ。雰囲気が悪いと聞いててもなんか、イヤっていうか帰っちゃおうかなって思うことがあるんで。
ではBRIDGEは、F.B.I.をやっていく場所として、どうですか?
あのね、ジーベックの頃っていうのは、その期間中、借りてただけじゃないですか。だからまぁ言ってみたら、その間だけの一時的な、フェスティバルっていう空間をその時つくるわけです。3日間くらいで。でも、ここの場合はもう毎日ですから。日々、自由に使える場所っていうのを、僕らは手に入れることができたわけですよ。ということは、もっといろんなことができるんじゃないかなともちろん考えます。ま、実際問題としてはね、スペースっていうものを毎日切り盛りして何かやっていくっていうことは、並み大抵の事ではないっていうのは、もう十分にわかった。それは無理だ、と。それはだって、これみんなほとんどボランティアですから。みんな一銭にもなっていないわけですよ。ほとんどね。そういう状態で働けっていっても、働けないし、やっぱり仕事には、なってないんですよね。もちろん仕事なんだけど、給料とかは出てないわけですから。で、スタッフにとっては、ここは自分達がやりたいことをやっていける場所っていう認知なんですよ。そういう意味でこの場所を認知してる。だから、この場所でフェスティバルをやっているわけですけれど、やっている3日間っていうのは、まぁもちろんそれ一色なんだけど、ジーベックと違って今では、その前の1週間とか1ケ月間とか、準備できるわけですよ。それはやっぱりすごく大きいですね。ひとつの大きいプロジェクトをやるのに、何日も前からいろいろそこで仕込みをやるということが可能になったっていうのは、やっぱりすごく有り難い。今は、普段からいろんな企画やってるんですけど・・・。毎週水曜日はカフェだけの企画とか、ちっちゃいスペースだけで、この大きいスペースを使わないで毎週、いろんな企画をやってみたりとか。そういう、みんないろいろアイディアを出してくれて、個人個人が出したアイディアで面白そうなものをどんどんやっていこうねっていう話なんです。みんなが自主的にいろんな企画を出してくれるようになると、すごくやっぱり面白くなってくるし、それでお互いに、やってるもん同士がお互いに「ちょっとこの企画くっつけて何かやろうか」とかね。そういうふうになってくるから。それで、F.B.I.は、ここの看板のイベントではありますけど、そうじゃないこともどんどん起こっているし、この広いスペースを利用してね、もっとできることはあると思う。例えばコンサートだけではなくて、いろんな・・・、もっとビジュアル的なこととかもできると思うし。この場所を使ってできることには、どんどん取り組んでいきたいと思っています。
ニュー・ミュージック・アクションで、演奏活動だとか、いい音楽をつくる環境だとか、お互いにどんどん触発できるようなものをつくる。それも初めて見に来る人にはタダでもいい場合も含めて。そういった振興をしていくことについては、場所を持つことで何か変わりました?要は、今までだったら、月に1回しかニュー・ミュージック・アクションはないわけなので、そこで会える人っていうのも、月に1回しかない。それが、いつもこういう場所があるっていうことは、そのあたりの状況が多分に変わるんじゃないかなと思うのですが。
変わります。明らかに変わりますね。特にここを始めて直後っていうのは、やっぱりみんな餓えてたから。それだけ「毎日使える」っていうことが、凄かったみたいで。で、僕が最初から思っていたのはね、絶対この中にカフェを作りたいっていうのは思ってた。なんでカフェかっていうと、僕にとってはサロンなんですよ。だから、みんなが集まって、演奏しなくてもしゃべったりとか、いろんな日頃考えていることを話ししたりとか。いろんな意見を交換したりとか、いろんな情報を得たりとか、そういう場所にもなればいいなと。そういう意味で、別に音楽家じゃなくてもね、いろんな人が、いろんなジャンルの人が集まって来て話ししたりとかさ、できれればいいなと思ってたし、実際みんな集まって来て、せっかくあるんだしって、みんな楽器もってきて、で、もう、そこらへんで楽器セッティングして演奏はじめたりしてたんですよ。だからライブじゃないんだけど、みんな楽器もちよって、勝手に、自発的にこう、セッションはじめたりとか。例えばそれを録音して、いろんな記録をとっていったりとか。そういうことをずーっとやってます。今でもやってますよ。それは大きいですね。ずっと稼動してるっていう意味が。
聞きに来る人はどうですか?
お客さんとしては、普段はそういう状態のときっていうのは、何もイベントはないってことに表向きはなってるから、人は来ないんですよ。ただ、今はもう辞めてしまったんだけど、最初の1年ちょっとくらいはね、週末ずっとカフェとして営業してたんですよ。
それは単純にお店だけ。それをやってて、だからその時はオープンだから、お客さんは来てました。で、お酒のみにきたり、お茶のみに来たりね。そしてそこでみんな演奏してた。楽器もってきて、セッションしたいとかっていって。そういうのが、毎週末、金・土・日ずっと起こってました。いま、それはちょっと予算上、できなくなっちゃって。今はイベントの時しかカフェを開けてない状態なんですけど。本当はね、毎日開けて、そういうことをもっとやりたいと思っているんだけど。
楽しそうですね。
楽しいですよ。(笑)
もう、みんな好きにやってます。疲れたら休憩、とかってね。
ライブハウスとかコンサートホールとかっていうのは、いろんなことできるんだけど、でも基本的には聞きに行く場所、見に行く場所じゃないですか。
限定されてますよね。
ええ、で、演奏する方は、一応、ステージがあって、客席に向かって、ある時間演奏する、と。で、お客さんはお金を払ってそれを聞いて、帰って行く。それが、ニュー・ミュージック・アクションっていうところからF.B.I.が出てきて、コミュニティがどんどん拡がっていって、BRIDGEという、いつでも誰でも基本的には来れる場所が出来た。それは、ライブハウスとかコンサートホールじゃない、消費していく場所じゃなくて、なにか生み出していく場所になっていますね。
そうですね、そうやっていきたいですね。そういう意味もあって、この場所っていうのは、ステージがないんですよ。だから、はじめから舞台っていうのをつくっちゃうともう、演者はそこにのって、お客さんはここで見るっていう、そういうのが限定されちゃうでしょ。スペース的に、どうにでも使えるような場所じゃないと面白くない。どこで演奏してもいいし、やりたいところでやりゃいい。そういう意味で、音響のシステムでも全部動かせるように足コロがついてる。だから、ここでやりたければ、ここに運んで来てここでやるし。だから、どこで聞いてもいい。そういう、お客さんも演者も自由に場所っていうのを使えるように、オープンスペースっていう発想にした。そういう風にしていかないと多分、さっき下田さんがいったように、コンサートホールとかライブハウスっていう、客席があって、舞台が一段あがってて、で、照明がちゃんとついてて、決まっちゃうんですよ。もう見え方が、一種類、ひとつしかなくなっちゃうから。それには多分もう限界が来てるんじゃないかなと思う。ただし、そういう意味では、いろんな聞き方、見せ方をしてもらう工夫っていうのをしなきゃダメだなとも思いますけど。
ちょっとやってみて、試してみて、違う人のも聞いてみて、新しいことをやってみて、それを積み重ねていく場所があって、で、出来上がったコミュニティを維持していけるように場所があるって、なんかこう、ほんとに建設的で楽しいね。うらやましい。
建設的だよね。うまいこと今まで流れてきたな、とは思っているんですよ。
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