蓮實重彦 |
1936年、東京都生まれ。60年、東京大学文学部仏文科卒業。フランス文学者、文芸評論家、映画評論家、小説家、評論家。東京大学教養学部教授を経て、97年から01まで東京大学総長。
著作に『反=日本語論』(筑摩書房)、『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』(朝日出版社)、『表層批評宣言』(筑摩書房)、『映画の神話学』(泰流社)、『映像の詩学』(筑摩書房)、『監督 小津安二郎』(筑摩書房、昨年小津安二郎生誕100年を機に、新たに加筆された<増補決定版>が刊行された)、『映画はいかにして死ぬか』(フィルムアート社)、『シネマの煽動装置』(話の特集)、『映画狂人』シリーズ(河出書房新社)、翻訳書には、『ヒッチコック/トリュフォー映画術』(山田宏一との共訳、晶文社)など多数。85年から88年まで季刊映画誌『リュミエール』の編集長をつとめた。 |
吉田喜重
(きじゅう) |
1933年、福井県生まれ。55年、東京大学文学部仏文科卒業後、大船撮影所演出課に入社。56〜60年まで、木下恵介の助監督を務め、60年に助監督の身分のまま『ろくでなし』で監督デビュー。4本を発表し、62年に正式に監督に昇格、本格的第一作となる『秋津温泉』で認められた。松竹ヌーヴェル・ヴァーグのひとり。『日本脱出』(64年)を最後に、松竹を退社。66年、現代映画社を設立、以後これを基盤に作品を発表する。『エロス+虐殺』(70年)『告白的女優論』(72年)『戒厳令』(73年)などの前衛的作品を作り上げた。『嵐が丘』(88年)以来14年ぶりの新作『鏡の女たち』(02年)で、昨年度「朝日ベストテン」第1位。今秋、第七藝術劇場で特集上映が予定されている。
著書に『否定の論理・想像力による変身』(三一書房)、『小津安二郎の反映画』(岩波書店)他。 |
大森一樹 |
1952年3月3日、大阪市生まれ。75年、京都府立医大在学中に撮った16ミリの自主製作映画『暗くなるまで待てない!』が話題を呼ぶ。77年、第三回城戸賞を『オレンジロード急行』で受賞し、翌年同作品にてメジャー映画監督デビュー。86年、『恋する女たち』(東宝)にて文化庁優秀映画賞、第11回日本アカデミー賞、優秀脚本賞・優秀監督賞受賞。88年、文部省芸術選奨新人賞受賞。96年、『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(東映)にて、第20回日本アカデミー賞、優秀監督賞、受賞。2000年4月より大阪電気通信大学総合情報学部メディア情報文化学科教授。著書に『映画物語』(筑摩書房)、『震災ファミリー』(平凡社)、『あなたの人生案内』(平凡社)など。兵庫県芦屋市在住。
現在、関西での映画製作や新しい才能の発掘・育成をめざし、新たなプロジェクトに取り組んでいる。春から大阪芸大大学院教授就任予定。現在、新作『悲しき天使』(高岡早紀、岸部一徳主演)製作中。 |
井川徳道 |
1929年、京都市生まれ。京都市立美術専門学校(現、京都芸大)卒業。52年、綜芸プロを経て近代映画協会へ参加。54年、東映京都撮影所と契約。以降、娯楽時代劇を中心に約135本の劇場用映画を担当。沢島忠、小沢茂弘、加藤泰から深作欣二、中島貞夫まで東映の黄金期を第1線で支えた美術監督である。近年はテレビ映画にもかかわっている。
また京都映画美術の伝統を伝えるべく、京都映画塾、大阪芸術大学等で講師を務め、後輩の育成にもあたっている。
主な作品に『真田風雲録』(63年)、『県警対組織暴力』(75年)、『冬の華』(78年)など。2003年、優れた映画・テレビのスタッフに贈られる増谷賞受賞。 |
中島貞夫 |
映画監督・大阪芸術大学映像学科教授・藝術研究所長
1934年、千葉県生まれ。59年東京大学卒業後、東映に入社。マキノ雅裕、田坂具隆などの助監督を務め、『くノ一忍法』(64年)で監督デビュー。『まむしの兄弟』、『日本の首領』シリーズなど東映やくざ映画の一翼を担ってきた。67年東映を退社しフリーとなる。97年より「京都映画祭」総合プロデューサー。
主な作品に、ゴダールの『勝手にしやがれ』に通ずる傑作『893愚連隊』(66年)、『日本暗殺秘録』(69年)、『木枯し紋次郎』(72年)、『暴動島根刑務所』(75年)、(76年)、『狂った野獣』(76年)、『総長の首』(79年)、『序の舞』(84年)など。
著書に『映画の四日間〜中島貞夫映画ゼミナール』(醍醐書房)など。新刊に『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』(ワイズ出版)。今秋、シネ・ヌーヴォで特集上映が予定されている。
春から大阪芸大大学院教授就任予定。現在、新作『悲しき天使』(高岡早紀、岸部一徳主演)製作中。 |
田中徳三 |
1925年、大阪市生まれ。関西学院大学文学部卒業。48年、大映京都撮影所監督部に助監督として入社。溝口健二の『雨月物語』『近松物語』や黒澤明の『羅生門』の助監督を務めたのち、58年、梅若正二主演『化け猫御用だ』で監督デビュー。以降、大映京都撮影所を根城に、市川雷蔵主演の知られざる傑作『手討』などの時代劇映画を作りつづける。
61年からは、勝新太郎・田宮次郎コンビの当たり芸“悪名”、 “座頭市”“眠狂四郎”“兵隊やくざ”など大映の看板シリーズの演出陣に加わる。71年に大映が倒産するまで大映専属、以後フリーで活躍。テレビ時代劇『鬼平犯科帖』『剣客商売』『必殺仕置人』『座頭市物語』などのシリーズがある。
著書に『映画が幸せだった頃_田中徳三映画術』(日本デザインクリエーターズカンパニー)など。
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