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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


06 ベルリンの「今」を切り取るダンス

デラシネ(根無し草)の“ブンカ“とか○○カルチャーとか

 一つ目の回り道として、まずはベルリンの文化的状況といったものに軽く迷い込んでみたいと思います。というより、単純に自分を中心とした「今」に浸ろうとしても、街のあちこちに口を広げる隙間に足をとられ、この「今」から我が身を引き離さざるを得なくなるのがこの街なので。以下、文化、ブンカと小うるさい話になりますが、漢字で書くときは世間一般に価値が認められた高級なやつ、カタカナで書くときはものの見方くらいの意味で読んでいただければと思います。

 まず一般的なところから始めると、15年前に東西の壁が崩壊して、生活の基礎となるいろんなしくみが変わり、人やものの去来が激しくなり、街並みも様変わりし…といったたいへんな変化が起きて、そういった変化が人々の芸術文化活動に刺激を与えている。こういったイメージを、誰もがベルリンに対して持っているのではないかと思います。このへんの政治や経済といった大枠の変化と、この都市に生活する人々の心情の揺れがどんな風に表現されてきたかについては、 『演劇都市ベルリン』 という本が丁寧に関連づけていて面白いです。演劇に限らずベルリンに住む人々の心のひだに迷い込みたい人にもお勧め。それで、演劇という啓蒙的なジャンルを扱うと、かつてあった二つの政治・経済体制の接するところにフォーカスすることになるのだけど、この都市が被りつつ展開する変化は、もちろんこの図でとらえきれるものではありません。すごく大きなところでは冷戦構造の崩壊にも関係しているとも言えるけれど、ドイツ(ヨーロッパ?)には移民とか亡命者を受け容れる伝統があるらしく、この都市にはまず、生活の厳しい地域からじゃんじゃん人が移動してくる。90年代には、街の大改造のために仕事をする人もじゃんじゃん入ってきた。つられてアーティストもじゃんじゃん…。とにかく、街を歩けば、一体どんなビザで滞在しているのかと気になるくらい、いろんな種類の異邦人が闊歩しているのが、現在のベルリンなのです。(関係ない話だけれど、ドイツのホームレスの人が立派なシェパードを連れているのは、ゴミ回収車がベンツなのと同じくらいびっくりします。どちらも燃費が悪そうではないか…。)

 さて「外国人が闊歩」なんていうと、さまざまな人種の間に生じるブンカのモノサシによるちゃんちゃんばらばら、つまり政治から日常生活にまでわたるブンカ的コンフリクトが、芸術にアクチュアリティを与えている、みたいな話になりがちです。確かにここ数年で、重厚な伝統に支えられたドイツ文化というイメージは、マルチカルチャーなものへと改められつつあります。そこには移民が持ち込む多様なエスニックカルチャーから、外国人アーティストのトランスカルチャーな活動までが含まれます。日本で耳にするダンスの話も、外国人のダンサーが住みついて、フリーシーンがダンスの実験場のようになっているとか、ベルリン国立歌劇場のマラホフ就任とか、そういったあたり。けれどもベルリンで実際に生活する人々の少なからずは、生まれ育った地域の文化から切り離されつつ、それを引きずりつつといった、文化的な根無し草。そんな家庭を訪れてみたら、生きてゆくための経済活動に忙しい両親の元で、子供たちは日がなテレビのMTVチャンネルをフリップしていたりする。今なら、2000年以降、世界中で様々なフォーマットで増殖し続けている「リアリティ・ショウ」が人気なはず。ニュースの時間に故郷の情勢を気にかける親と子供の間で演じられるチャンネル争いは、演劇の素材になりそうだけど、大都市のデラシネたちは、なんだか消費するという一つのことに、エネルギーを吸い取られていってしまうような状況があると思います。そんな無為の中にブンカのモノサシを見出すなら、ポップ・カルチャーとかサブカルチャーとかいうことになるのでしょうけれど。

 こんなブンカ(文化なし?)状況と芸術のダンスというとまるで接点がないように思われるのだけれど、そのあたりをすくい上げるダンスがあるのが、ベルリンの面白いところ。マクラスの試みに進む前に、もう一つ回り道をして、ベルリンフィルのダンス・プロジェクトについても触れておきたいと思います。う

 昨年『ベルリンフィルと子供たち』というドキュメンタリー映画が公開されて知っている人も多いと思うけれど、2002年から、サイモン・ラトルというイギリスの有名な指揮者が率いるベルリンフィルが、移民や貧困層が多くて問題を抱える地域の学校と提携して、そこの子供たちと年に一回ダンス・コンサートを開いています。それは、クラシック音楽の客層が高齢化していることなどがあって、オーケストラがジャンルの未来のために乗り出した教育活動の一環なのだけれども、ふつーに育ったらクラシック音楽にもモダンダンスにも一生触れないであろうような子供たちを、なかば無理矢理巻き込んで一級の舞台をつくってしまおうというところが、実際に関わる大人たちのすごいところです。詳しくは、 ベルリンフィルの教育プロジェクトのサイト で、または ドキュメンタリーのDVD が手に入るので、是非ご覧ください。

 個人的な話をすると、たまたまベルリンに行っているときに3回目の『ダフニスとクロエ』を見に行ったのだけど、会場が大きすぎてダンスのことはあまりわかりませんでした…。それより、同級生の出る公演のチケット(学校から支給)を小銭に換えようと必死の小さなダフ屋からチケットを買ってしまったこととか、いまだかつてなく布を被った人率の高い中でダンスを見たこととか(出演者の家族が総出で見に来ている)、学校の先生をしている友人に、ベルリンフィルと共演することが彼らの親にとってどんな意味を持つか、といった話をされたことなどが印象に残っています。ここでデラシネの親にとってこのプロジェクトがもつ意味を、世界に名高いオーケストラとの共演に限ってしまうと、移民のドイツ文化への同化とか教化とかいった、文化政策レベルのややこしい問題に話がずれてしまいます。(選曲がフランスの作品だったりするあたりには、そういった配慮もはたらいているのかも知れません。)でも、ドキュメンタリーを見てわかったのだけれど、指導にあたるダンスの先生がすごく良くて、真っ直ぐ立つこととか、人に対して正面を向くこととかを、ダンスを通して伝えようとしているのですね。その結果、先生のメッセージを受けとめた子供たちの体の構えとか目の輝きも変わっているように見えて、ダンスとしての評価とか、クラシック音楽の裾野を広げるとかいったことはむしろ二の次で、こんな大人たちの関わるプロジェクトの続けられることが、未来に投げかける意義の深さは計り知れないのではないかと感じられるわけです。

 こんな風に、ダンスを含むパフォーミングアーツの社会的取り組みは、ドイツでもいろいろ耳にされるのですが、現場で起こっていることはさておき、その意義についてどうこう言い出すとどうしても確立された文化の側の啓蒙的な構えが目立ってしまうようです。それに対して、マクラスは………といったところで、そろそろ『現在へ遡行せよ』と、それが切り取るベルリンの「現在」に目を向けてみたいと思います。

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