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34 アジアの現在 LIVE ARTS BANGKOK

       始まりの予感はバンコクから〜ライブ・アーツ・バンコクを視察して〜

                                        Text:後藤美紀子

        

             
■ 真夏のバンコクに飛んだ理由

 今年の8月、バンコクで 「ライブ・アーツ・バンコク−LIVE ARTS BANGKOK: a new performance festival regenerating heritage arts& spaces, dance・theatre・puppetry−」 (遺産としてのアートと空間を再生するダンス・演劇・人形劇の新しいフェスティバル)と名づけられたイベントが行われた。主催したのは、東南アジアを中心とする11カ国が加盟する教育組織の連合体の中の一組織であるSEAMEO-SPAFA(タイ考古学・芸術地域センター)で、8月16日(木)から18日(土)の3日間、バンコク市内のククリットハウスとサイアムソサエティを会場に、日本を含むアジア9カ国(*註1)のアーティストによる10作品の上演があった。


 
  会場となったククリット元首相の邸宅。現在は文化遺産として公開されている。
 
 このフェスティバルのキュレーションをしたのが、今年2月に東京・森下スタジオで行われた「第3回ITIアジアダンス会議(*註2)」の参加者であるタン・フクワンで、ダンサー/振付家として同会議に参加してくれたタイのピチェ・クランチェンやインドネシアのジェコ・シオンポも参加しているとあって、私を含む日本側の同会議の参加者数人が3日間のエキサイティングな時間を共有すべくバンコクに集まった。

 さらに、会議でのプレゼンテーションで山下残のビデオをみたフクワンが、彼をプログラミングすることを決めたという経緯もあり、この異国で行われた小さなフェスティバルは、「第3回ITIアジアダンス会議」の参加者にとっては二重にも三重にもそこに立ち会うべき理由があるものとなった。8月のお盆前後の一年中で一番航空費が高い時期に、私のような貧乏なダンス関係者が自腹で駆けつけたのはよくよくのことであるが、今、私が見たいものはここにこそあると確信しながらバンコク行きの飛行機に乗った。

■ ライブ・アーツ・バンコクの概要

 まず、フェスティバルの概要を説明しておきたい。このフェスティバルのコンセプトは、文化遺産の建築を会場にして、各地のコンテンポラリーな表現や古典芸能などを織り交ぜ、キュレーターの独自の視点から「再生」を図ろうというものである。
 3日間のフェスティバルで、1日に4〜5作品の上演があった。ジャンルは「ダンス・演劇・人形劇」と銘打たれていたが、実際には踊らないダンスや、一人芝居というよりスピーチに近いものや、ワヤン(影絵)や音楽を取り入れた一人語りなど、内容はバラエティに富んでいた。このようなところからも、西洋的なジャンルの概念がここでは無意味になりつつあることがわかる。
 また、今回は劇場での公演を前提としていなかったため、テクニカルなコンディションに制限があり、複雑な照明や大きな舞台を必要とするような作品ではなく、ダンスでも演劇でも、出演者が1人あるいは2人の小規模で、技術面も複雑でない作品に限られていた。それぞれの作品の上演時間も、一晩にいくつもの作品を上演するため、20分から45分という長さであった。そのことで全体が地味で小粒の作品の集まりという印象になっていたかと言うとそうでもなく、むしろ照明や舞台装置など装飾的な部分がない分、それぞれの作品のコンセプトがはっきり見えてきて、次々に違った方向からの世界へのアプローチの仕方が提示されるというわくわくする体験が出来た。この「コンセプトをはっきり見せる」という方針は、後述するフクワンのキュレーションの考え方とも密接に結びついている。

(*註1)インドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、日本、フィリピン、香港(中国)、マレーシア、ミャンマーの9カ国。
(*註2)社団法人国際演劇協会(ITI/UNESCO)日本センターが隔年で実施する事業で、第3回目の会議は2007年2月に実施された。筆者はプロジェクト・コーディネーターとして企画立案、運営に携わった。詳しくは、 同センターサイトを参照のこと。


 


 
  ククリット・ハウス(左)ククリット・ハウスで踊るピチェ・クランチェン(右)
 
■ アーティスティックがイニシアティブを取る

 私たちのような自主応援団は、日本からだけでなく、シンガポールやヨーロッパからも来ていた。ベルギーのクンステン・フェスティバルのディレクターや、スイスのダンスのフェスティバルのディレクター、ベルギー在住の振付家のアルコ・レンツなども、参加アーティストや私たちとともに毎日舞台を見て、終演後に食事に出かけ、遅くまで話をした。3日間という短期間ではあったが、非常に濃密な時間であった。このようにフェスティバルの参加者同士が互いの作品を見て意見を交換し合うという機会は、すべてのフェスティバルの主催者が夢見るところだろうが、実際には予算の関係で、参加カンパニーは自分たちの公演が終わると次の日に帰国することが多く、そのような場を設定することはむずかしい。特に大型フェスティバルでは作品を上演して帰るだけということになりがちで、多くの人が行き来する場でありたいと願うフェスティバル関係者にとっては、理想と現実のはざまで、いつもなんとかしなければ、と思い続けている問題である。フクワンも私も、今まで多くのヨーロッパを中心とするフェスティバルで公演を見て歩いた経験があり、ゲストとしてアーティストとゆっくり話をする時間さえないという現行のフェスティバルのあり方に強く矛盾を感じてきた。かつて私は東京でのフェスティバルの運営に携わっていたが、東京のような大都市では顔の見える交流の場を持つことは、夢のまた夢であった。
 それゆえ、今回、フクワンが目指したのは理想のフェスティバルではないかと思うのだ。開催日程を少なくし、会場数を限定し、コンパクトな枠組みを作り、参加者の人数も限り、一緒に飲みにいける人数の参加者とゲストが、毎晩その日の公演についてビールを片手に語り合う。売った買ったの経済の論理の関係でも、肩書きと肩書きの関係でもなく、さまざまな芸術観を持った個人同士が(アーティストであれ、プレゼンターであれ、批評家であれ)、自由に意見を交換しあう芸術観がイニシアティブを取る場。フクワンが目指したのは、また私の理想の場でもあった。

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