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<けったいな縁>で大阪に居ついてしまった<ぶち>が、心に映ったつれづれを独り言。
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+ 石淵文榮
ライター
筑波大学芸術専門学群美術専攻彫塑コース卒。大槻文藏事務所、(財)大槻清韻会能楽堂企画室を経て、現在、新聞・雑誌等に、主に能楽に関する記事を執筆。文化庁インターンシップ・アートマネジメント平成12年度研修生。


食べてみるべし!されば道は拓かれん…

 過日、珍しく本の整理をしていたら、学生時分、クラブの先輩にいただいた文庫本が出てきました。
 『辻留・料理のコツ』辻 嘉一・著。


「ぶどう豆」
 なんの料理でもそうですが、材料のよしあしで、その料理の九〇%までは勝負がついてしまうものです。(中略)
 ぶどう豆もその例に漏れず、ごく上等の黒豆を求めなければなりません。皮が薄く、よく肥えて艶がよく、育ちのよさを思わせる漆黒。良質の黒豆には筋の通った色艶と形のととのいが感じられるものです。最初はなかなか鑑別もむずかしいでしょうが、三種類ほど少量ずつ別々の乾物屋さんでお買求めになり、旺盛な研究心をもって比較してごらんなさい。——十粒ほどを掌にとって両手でこすりあわせてからじっと見るのです。材料に対するするどい鑑識眼をやしなうことは、日本料理の場合は、基本の心構えであり、最高の教養でもあります。


 演劇や音楽の好きな人でも、その大半は、きっと「一度くらいは能や狂言を見てもいいけど、面白いとは思えない」と思っているのでしょう、私が能楽関係の仕事をしていると言うと、「お薦めの公演はありますか?」と訊いてくださるものの、実際に足を運んでくださるところまで至りません。

 なにかの義理で興味もないまま見せられてしまうこともあるようで、そうなると、能を見ること、能楽堂に行くこと自体が「気の張る行事」になってしまいます。

 そうじゃなくて!
「能なんか見てもわからないから」と言う人が「わかる」と思っているものは、どんなものなのでしょう。

 「ぶどう豆」、お正月の黒豆の煮いたん、眺めているだけで味まではわかりませんもん。
口に運んで「おいしいなぁ」とか「ちょっと甘いなぁ」とか、「不味っ」などと思う…それでいいのではないですかね。

 料理本の美味しそうな写真を眺めていたって、ちっとも美味しくなんかないですもん。
 料理人になるか、趣味で料理をやるか、もっぱら食べる人になるか、美食家になるか、ゲテモノ好きになるか、それから先はその人次第ということで…。

 話は変わりますが、子供たちが(大人もそうかもしれませんが)ゲームの攻略本を夢中で読んでいるのを見ると、「なんで攻略本読んでまで」と思ってしまいますが、面白かったらどんどん向上心というのが沸いてきて、目を輝かせて「勉強」しています。
 ハードルが高いから征服欲も刺激されるのでしょう。

 能かていっしょやん…。

 と、呟いてはみるものの、現代の大半の日本人が持っている「能は難しいお勉強」というモードはなかなか切り替えられないようです。
 マニュアル本や解説書やなくて、攻略本を作ってみようとも思っていますが、問題はそういうことばかではなく…まぁ、でも取り掛かっています。
 そんなわけで、私なりに、遅々とした歩みではありますが、いろいろな戦略を立ててみようと思っているこの頃です。


 待ちわびていた春。
 美しい人が逝ってしまわれました。
 この方のことは、以前、カルチャーポケットにも少し書かせていただいたことがあります。
 私などがここで追悼の言葉を述べるのもおこがましいことですが、一言だけ、美しい生き方そのもののような舞をこの目で拝見することができて幸せでした。
 ありがとうございました。
                                  合掌

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