眺望は絶景なり。外国紳士は話し好きなり。 大林高塔〜派出所
昔も今も高所を好む人、世に多かりし。その願いへの回答、大林高塔に勝るものなし。場内最高の丘上にあり直立百六十八尺、大林芳五郎の設計にて眺望閣、望遠樓とも呼ばれたる。
「あれに昇りたい」
と云う花子、爛漫な女学生の顔になりたり。博三も
「珍しき電気昇降機(エレベーター)とやらに乗らずして帰られまへん」
と叔父の面目を忘れて童心に帰りたり。昇降機による上昇は垂直にして、いまだ体験せざる不思議の感触あり。塔上に上がれば百万の人口なる煙の都、湾に向かって広がり、彼方に瀬戸内海の島々をも眺め得べし。眼下には場内狭しと連なる大小の館、無数の観覧者の群れあり。都市の中の都市と云うべき。いまさらながらに博覧会の壮大なる規模に驚嘆す。
博三、某館の前に長蛇の行列を発見す。花子答えて
「あれは冷蔵庫。叔父さん、アイスクリン食べに行こ」
大林高塔を降りて、めざす方向に歩けど、二人道に迷う。派出所あり。警官が外国人観覧者に英語で道案内する風景に、花子感心す。自らの語学力を試さんと、会話に加われり。相手の紳士は話し好きにて、場外に開設されし人類館について花子に問う。花子、人は見せ物にあらずと、発音あやうき英語ながら、沖縄、アイヌ等の人々を展示に供した同館を批判す。紳士とのカンバセーション終わりて後の道中、博三ようやくその和訳を聞く。おおいに褒められ、花子鼻を高くする。
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外国人案内所。 |
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直立百六十八尺の大林高塔。のちの通天閣に見ゆるは、我独りのみの幻影なりしか。 |
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観るものすべて斬新なるかな。 冷蔵庫〜運動場
数々の新奇なる博覧会展示の中でも耳目を集めたるは冷蔵庫なり。冷蔵室六十九坪、機械室六十三坪。行列、常に絶えず。後尾に並んだ博三と花子、ようやく自働出閉器(ドアチェック)を押して庫内に入れば、たちまち清涼を感じ、心身に爽快を覚ゆ。夏の富士山の景を造り、頂上を人工の白雪で覆いたる箱庭あり。「冷蔵庫機械製氷」「第五回内国勧業博覧会」の朱文字を出したる二塊の氷もまた涼し。続いて菓子、肉、魚、卵、凍魚等をガラスケースに保存貯蔵せる室が並び、文明は食品の衛生管理の分野に長足の成果を挙げたものと知る。冷菓アイスクリンなるものも此処で製造頒布せり。その美味と潤いを目当てに入館する者多し。しかるに本日は発売中止の告知あり。食当たり発生、材料の練乳に問題があった故との係員の釈明に花子は落胆、博三も残念しきり。
ともあれ冷気で新たな命を吹き込まれし二人、次なるは運動場に向かう。花子はスポーツ好きなり。陳列室、室内遊戯場をのぞいた後、運動場でローラースケートに興じる米国青年の颯爽とした姿に拍手。博三曰く
「わしも、もうちょっと若ければ」。
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十有余種の運動機械を配備し、来館者をして随意に運動せしめる運動場。奥に見えるテントがメリーゴーラウンド。 |
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冷蔵庫前。真夏にして涼しという珍奇なる快感を求めて、続々と人集まれり。 |
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冷蔵庫内の機械室。英国リンデ社製。「本邦いまだ例なく、その設計の当局者は非常に苦辛したり」との報道あり。 |
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遊心、爽快、不思議の数々、余興に時を忘れたり。 メリーゴーラウンド〜奏楽〜ウォーターシュート〜不思議館
博覧会の目的は勧業と云えど、今回観覧者の人気をとみに集めたるは目新しき数々の余興なり。花子、此処に至りて博三の案内役たるを失念し、余興に時を忘れたり。博三、姪の後をついていくばかりなり。さて、訪れたるはメリーゴーラウンド。快廻機とも称し、巨大走馬灯と呼ぶべき遊戯装置なり。瓦斯機関の作用によりて廻転する木馬に乗りて楽の音とともに馳せめぐらんとす。一周およそ五分間、五銭を投じて無邪気なる時を過ごせば、花子のみならず博三も呵々と童心に帰りたる。
奏楽堂の脇を抜け、軍楽隊の演奏による豪壮華麗なる響きを耳にして、たどり着いたる次の余興はウォーターシュート、舟滑りなり。茶臼山上にさらに眺望ゆたかな高台を設け、池に向かって舟ごと降下すべし。先年グラスゴー博覧会にて催し、現今米国にて盛んに流行せしものなり。入場料は十銭にして舟に乗りて試むるには更に十銭の乗舟料を要す。
「ちょっと高いやないか」
と云いつつも、博三四散する飛沫とともに上がる歓声の誘惑に勝てず、姪とともに松風と命名せし舟に乗り組まん。頂上より遠く木津川から茅渟(ちぬ)の海を望んだかと思うと直ちに風景傾き波間が迫り水中に没する勢いで突入す。その爽快さ、云い難し。笑顔の博三、それでもなお二十銭の投資は安いか高いか、口にせず。
最後に訪ねし不思議館は、余興物の随一との評判高し。電気光学を利用したる演舞にして、米国女優カーマンセラ嬢が火焔(ほのお)の舞、夜の舞、朝顔の舞、白銀の舞等、一人舞台を演じるものなり。特に衆目を驚かせし火焔の舞は、暗黒の舞台に射した一点の微光が舞うにつれてしだいに大きく赤く光を増し、ついには舞台一面火焔となり、絹衣をまとい長き袖を縦横に振る嬢が炎の精と化した奇観を呈す。博三、幻惑の面持ちは電気光線によるものか嬢の怪しき舞によるものか。花子、余興を楽しみつつも叔父の始終を記憶に留めたり。その他場内にはX光線、顕微鏡、活動大写真、月世界望遠鏡等を装置して、親しく観覧者に実験せしむるなり。花子、X光線にカーマンセラ嬢の舞にまさる不思議を感じたり。館を出た後、いつしかメロディを口ずさむ自分を発見。訪れた余興すべてに楽奏あり。西洋の音色、知らぬ間に彼女の心を浸すなり。
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カーマンセラ嬢。舞台では炎の精に変身。
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象、蛇、鰐……場外には余興動物園が設けられた。
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スロープに敷かれた樫の木製のレールを滑り落ちてきた滑走船が、水煙をあげてザブン。一方、引き揚げられるのは次の船。
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電灯装飾の魅惑と幻想、心に深く刻まれり。 売店〜イルミネーション
一日では今回博覧会の全容観覧に到底足りず。敷地面積十一万四千坪の宏大な場内は十八カ国の参加による大小の展示館が埋め尽くし、場外に関連展示、大浜公園の第二会場には水族館あり。西洋料理店、日本料理店、ビアホール、喫茶店、牛乳店、休憩所等も合わせて八十軒以上。各館の会場は午前八時の会場から午後五時の閉場(門限六時)まで。来場者みな見物、余興、飲食に飽きるを知らず。
夕刻に至り、博三と花子、まだまだ心残り多けれど、ようやく正門前に帰り来る。各地方の売店あり。愛知県の売店は名古屋城の形を模し、鯱(しゃち)を飾る天守台ありて一際注目を集めたり。東京府は洋館風、奈良県は古代宮殿風、秋田県は古民家風を意図し、滋賀県は同樓門、千葉県は屋上に六角台あり。大阪売店は意匠凝らざるもその大規模を以て際立つ。その他、それぞれに繁盛を競いつつ各地自慢の名産を頒布せり。二人、当節まだ珍しき絵葉書なるもの各店にて買い求め、機嫌よし。花子が選んだプリントを施せしハンカチもまたハイカラなり。博三は大阪土産に粟おこしを手にしたり。
陽が翳るのを見て博三「ほな、帰ろか」。
「叔父さん、待って。いいものが」
と花子はイルミネーションの時刻間近なるを示す。既に群衆、噂の夜景を見んとして今か今かと待ち受ける。やがてとっぷりと暮れ落ちたるを合図に楽奏始まり、宮殿風の堂々たる正門が一斉に灯る電気の燈火に覆われるを見ゆ。歓声上がり、その渦中に博三、花子もあり。各売店も互いに電燈を掲げて店を閉めず。正門の見上げる穹のその上に第五回内国勧業博覧会の文字、電気の光にて点滅するも奇観なり。一人としてその場を立ち去る者なし。場内、全館の電燈も点火され暗中に不夜城浮かび上がり、各所に点在する噴水等も光を浴びて神秘の夜景を演出せり。今から入場せんとする観覧者も少なからず。館内展示は見られずとも、ただイルミネーションの一大美観を楽しみたいがためなり。十時まで煌々と燈火消えずと聞く。二人、初めて見る電気の光の幻想にしばし佇みて後、一日の思い出携え帰路につく。博三、停車場まで喋るをやめず。花子、応えつつ次は場内で心ゆくまでイルミネーションを見たいと思ゆ。だれと来場せしか、楽しき悩みなり。
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大阪名物が勢揃いした大阪府売店。
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愛知県売店は名古屋城の写し。
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内国博の夜景(正門)
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※本文中の写真・図版は、橋爪紳也氏蔵。 |