探るほどに面白い、知るほど謎が深まる“大阪”という都市を楽しむ。 |
|
|
|
vol.19 1903博覧会シティ(第五回内国勧業博覧会)開幕
(月刊「大阪人」2003年11月号より)
|
|
今から百年前の明治三十六年(一九〇三)、現在の新世界を中心とする一帯にもうひとつの都市が現れた。入場者数五百三十万人、明治最大のイベントとなった『第五回内国勧業博覧会』である。日本初の万国博といわれ、殖産興業のみならず数々の新奇な愉しみを人々に提供して、新時代の都市文化の幕を開けた、その夢の跡に時間旅行してみれば……。
(文=本渡 章)
第五回内国勧業博覧会全景図
2003年の大阪人の皆さん。1903年の博覧会へようこそ。
浪花博三と咲屋花子が100年前の会場へとご案内いたしましょう。
では正門からどうぞ─
|
|
文明開化は地球を狭くするものなり。 正門〜通運館
明治三十六年三月一日、開会なった『第五回内国勧業博覧会』はその規模壮大にして、 前回(※)に比すれば敷地面積二倍強、出品点数三十二万五千六百七十五点に達す。幾多の外国館の参画も実現せしめ、本邦初の万国博と衆目を集めて我国の国力高揚の証しとし、会場には過去四回を遥かに上回る二万人以上の人波が連日押し寄せた。
此の日もまた、日本橋筋を経て看護橋を渡り、噂に聞くにぎわいを目の当たりにせんと先を急ぐ二人連れあり。一人は洋装で洒落こんだ初老の男、浪速博三。泉州で商店を営む。維新以来の大イベントとの評判に誘われて、早朝より電車を乗り継ぎやって来た。今一人はおめかしした和装の女学生、咲屋花子。博三の姪で、堂島女学校に通う。博覧会は既にクラスメートと一度ならず遊覧し、休日の今日は叔父の案内役をかって出た。以下に記すは、新しもん好きの叔父とハイカラ育ちの姪の見物記である。
甲(かぶと)型に洋風の装飾を施した堂々たる正門、その前に颯然とそびえる塔、倶梨迦羅龍の噴水器に躍る水。二人いよいよ到着の興奮に胸高鳴らせつつ行列の後につき、開場とともに門に入る。入場料は日曜につき拾銭なり(平日五銭)。中央の大通路を進めば、右方に農業館、林業館、水産館、通運館、器械館、参考館、加奈陀館(カナダ)等並び建ち、左方に工業館、教育館等を望む。
「大通路を中心として左右に各館を配置したのは、かの巴里大博覧会も同様であった」
とにわか仕込みの雑学を披露する博三の袖を引き、花子は目に入る館に導いたり。その足どりの軽いこと。
「叔父さん、わたしが観たかったのはこれ」
通運館にて彼女が指さしたのは、日本郵船会社出品の見上げるばかりの大地球儀。動力により回転しつつ世界の航路を一目の下に観覧せしめ、群衆みなその大仕掛けに驚嘆す。此の他、世界の要港を現前せし大写真塔、露西亜(ロシア)、シベリア方面の寄港地の模型、清国揚子江、韓国、台湾、南清の各航路を走る汽船の模型、明治初年の大形和船、現今の帆船模型等並び、その精巧さ驚くべき。
「汽船はロマンスの香りやわ」
と弾む姪の声に頷(うなず)きつつ、博三は休憩所の椅子に早や一服と腰を下ろす。豪州航路の日光丸談話室を模して造られた室は、来館者の浮き立つようなざわめきに満ち、花子は次に急がんと叔父の背を押す。館内には、鉄道客車、炭車、有蓋車、機関車等の展示、沿線の景勝地のジオラマなどもあり。寝台付き客車を観て
「ああ、夜汽車に揺られて旅してみたい」
と花子。畿内の他の地を知らぬ博三、女学生の旺盛なる好奇心に目を細める。通運館ではその他、郵便事業の沿革紹介、通信機械の展示あり。電信を宙に飛ばすというシントニー式無線電信機械の新奇さに、博三おおいに感心す。文明開化は地球を狭くするものと知る。
※ 第一回から第三回内国勧業博覧会は東京、前回の第四回は京都で開催された。
|
|
洋風のドームとアーチを擁する正門。 |
|
|
工業館は会場内第一の大建築。 |
|
|
たくましき機関車は通運館にて。 |
|
|
工業館の大阪出品。門の右が仁徳天皇、左が秀吉像。 |
|
|
|
|