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セーフとアウトに挟まれた生 西尾雅
畳みかける会話の応酬、けれどスレ違う両者の思惑。会話のズレと間の悪さは日常茶飯事だが、ディスコミュニケーションの恐さを逆に笑いで強調するのが鈴江流。冒頭のブドウをつまむ女性と手をのばす男性のやり取り、その表面下の心理戦が早くも緊張を呼ぶ。他人の食べ物に黙って手を出す男性の甘えと「まず断って」と指示する女性。いざ男性がお願いするや「いや」と拒否する女性の屈折と無視してさらに食べ続ける男性の厚かましさ、それを跳ね除けず顔をしかめるだけの女性に不条理が増す。馴れと嫌悪がないまぜになった2人は、恋人ではないが腐れ縁の関係と察しがつく。ブラウス胸元の開きを指摘する性的な会話がそれをほのめかす。

口に出す言葉と内心は異なる。両者とも相手を見ず、会話と動作の不連続がコミニュケーションを阻む。求めながら、結局交わることがない。人はしょせん孤独な存在、淋しさゆえに惹かれるが、結局理解できないという鈴江作品を貫くモチーフがここにも見られる。現実は深刻、それを知るからこそ登場人物は過剰に笑い、ののしり、落ち込むエキセントリックな反応をくり返す。悪ふざけにも見える彼らの混乱は、哀しみを戯画誇張する鈴江なりの愛おしさ。やさしさをあえて偽悪にくるむ手法は、3人の女性を同時に妊娠させる「そこにあるということ」で既に見られたが、本作はわが子殺しという悲惨に到る。

「まずい」と言いつつブドウを食べ続ける女性に「おいしい」とフォローする男性は「いいの、無理しなくても」と逆に不満を返される。おいしい、まずいの評価と別に両者の気持ちに齟齬が生じる。男性は、実際おいしいと思っているのだが、相手に受け取ってもらえない。人によって違う味覚を伝えることは困難。まして、気持ちが相手に伝わろうはずがない。そもそも、自身が自分の気持ちをわかっているのか。まずいと感じて食べる行為を男性は理解できないのだが、女性は気づきもしない。人は自身の感情に逆らう行為をときに犯す。

ブドウや半袖姿、カエルの鳴き声が晩夏の田舎を思わす。一軒家に祖母と住む村上(長沼)宅を訪れた杉下(中村)と山田(浦本)。仕事中サボっている山田は帰社を急ぐが、遅れて到着した滝(金城)と出くわし、辞すタイミングを失う。今日は同級生だったカズオの命日、交通事故死した彼と社会人草野球チームの選手・マネージャーとして卒業後も親しい滝は事故の加害者を恨む。が、村上は自殺説を唱える。山から風が吹き下り、雨になれば野球は中止。雨の予想が、野球をせずにすむ安堵と予定が空白になる不安の狭間に彼を陥らす。それが無意識の自殺を招いたという。

カズオの思い出話に花が咲く。かつての野球部時代、カズオは凡打にめげずスライディングを敢行、無念のアウトに終わったことがある。アウト、セーフを分けるのはタイミングだけ。人はセーフへの一縷の望みを信じ、危険を犯してすべりこむ、たとえアウトが待とうとも。

唐突に杉下がわが子殺しを告白して、驚かす。出来ちゃった婚で育児疲れ、仕事に忙しい夫とも疎遠、この集まりに家を出ようとしたら子供がグズつき発作的に殺したという。山田は自首を勧めるが皆に却下され、帰社も叶わず長い夜を共に過ごすハメになる。人は孤独でバラバラだが、ときにわが事のように他人の悩みを共有する。難題に取り組む友情は、他人事と思えない切実ゆえ。自分にも起こりうる業火に全員胸痛める。

思えば誰もが自殺をかろうじて思いとどまる生の中にある。教職の身ながら生徒の前で大泣きし、通勤の流れの中でわずかな挨拶に救いを見出してあやうい毎日をどうにかやり過ごす。カズオのように不意の死を迎えることも杉下のように過ちを犯すこともある。彼女は緩慢な自殺ともいうべき生に耐え切れず、わが子を性急に救うつもりだったのかもしれない。

わが子殺しを告白した杉下は疲れて寝入ってしまう。残り3人は善後策を協議し全員で逃亡する案も出るが、目覚めた杉下は憑き物が落ちたように自分から自首の電話をかける。警察の到着を待つ間に彼らは野球に興じる。部屋を内野に見立て、打った杉下が累にすべり込むや、一瞬の間をおきセーフがコールされる。アウトとセーフ、つまり有罪と無罪。わずかなタイミングで峻別される現実。誰もが死にころびかねない生の剣ヶ峰に立っている。罪とは知るが、誰もが犯しうる過失を赦す思いにかられる。

野球や法律のように、心まで黒白2分されるわけではない。人を嫌って孤独に脅え、連帯に憧れて人を厭う。雨で野球中止を望みながら、いざ中止となれば予定のない不安にまたゆれる。増築を続けトイレに行くのも迷うこの家のように心も矛盾だらけの迷路。誰もがそれを抱えて生きるしかない。ときに激しい風雨をしのぎながら。


キーワード
■孤独
DATA

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