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はじきあう、融けあう |
栂井理依 |
時間に追われる、忙しい毎日−。商談、会議、打ち合わせ、ミーティング。会社帰りのデートに、週末の飲み会。わたしたちは、「スケジュール」という言葉を当然のように使う。そして、今日一日、この一週間、この一ヶ月、この一年、この一生、すべて自分ひとりで決定しているかのような錯覚に陥ってしまう。だけど、本当は、誰かと出会って、誰かと約束し、誰かのスケジュールと交差して、初めて自分の「スケジュール」が決定されるのだ。そして、そんな誰かとの交わりで構成される、わたしたちの人生は、思いもよらない不条理な出来事で満ち溢れている。 パフォーマンスシアター「水と油」は、昨年、第二回朝日舞台芸術賞「寺山修司賞」を受賞した、気鋭のカンパニーである。マイムで鍛えた繊細でこまやかな手脚の動き、キレのよい動きができるダンサーにしか生み出せない滑らかな空気の流れで、そんなわたしたちの日常のシーンをコミカルに紡いでいく。 バスの中で出会う男と女。落し物を拾う。席の譲り合い。男が忘れた鞄の行方。ゲームに興じる男たち。ある夫婦の何気ない朝食風景。突然、倒れる妻。そこから生まれる些細なドラマが、流暢なマイムで淡々と語られる。そして、その合間合間が、九十度違いで組み合わせたテーブルとイスに座る二人の男や、それぞれ一枚ずつカードを持った四人が、まるでババ抜きのように一枚ずつ交替していく様など、非日常な空間で埋められていく。 マイムでもダンスでも、ひとつの仕草、ひとつの動きは、あるひとつの行為もしくはひとつの感情を指す。つまりが、すべてが意味を持った動きとなる。それによって、ストーリーやシーンを前に進めていく。しかし、ダンスの中には、動き自体に意味を持たない場合も多々あり、単純にフォルムの美しさや珍しさ、その繋がりが、見る者へある感情を生み出し、心に響くことがある。 水と油の舞台からは、コンセプトやストーリーの中に埋めこまれた、意味のある動きと意味のない動きが、まさにそのカンパニー名どおり、時にはじきあうこともあるが、逆に融け合っている瞬間も見える。そして、それが不条理な世界に振りまわされる人間の愛すべき滑稽さをコミカルに捉えさせることにもなるのだが、一方で、その不条理さは、わたしたちの生の深い闇へも通じていることを感じさせてくれるような気がする。 演劇でもない、マイムでもない、ダンスでもない。でも、同時にそのどれともとれる。彼らは、新しい身体表現の世界を持っているのだ。
キーワード
■コンテンポラリーダンス ■不条理 ■パントマイム |
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