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しんじょう 松岡永子
 外国人観光客は常時パスポートを携帯する義務がある。だが、その義務を日本人に対してだけは免除している国があるそうだ。日本人はコピーでも可、ということらしい。日本人は修学旅行生扱いだ。(覚えありませんか?修学旅行では健康保険証のコピーを持っていったでしょう。普通、コピーでは医者にかかれません。修学旅行生ゆえの特別扱いです)
 スリやひったくり、その他犯罪に慣れていないというのは恥ずかしいことではない。だいたい、道に落ちている物を拾わないのは文明のバロメーターではなかったか。ただ、現在の日本人は恵まれた環境に甘えて、未成熟なコドモでいつづけようとしているとは思う

 テーブルを囲むような位置にブランコ状の椅子。腰掛けた人たちはコンパ用ゲームに耽っている。時間潰しのためだけのゲーム。突然の「日本」消滅のため、国外にいた日本人は避難所に集められた。身の振り方を決めた者から避難所を出ていき、残ってしまった人たち。言葉も通じない砂漠の国で意志決定の期限が迫る。なんら積極的な行動も起こさずゲームに耽る。現地の世話係が来なくなったり、避難所に石を投げ込まれたり、仲間内の人間関係などでイライラを募らせる人たち。意志決定の期限が来る。
移住するなら日本に似た国が良いな。そんな国あるのかよ。なければ自分たちで作ろうよ。政党でも作って。「日本へなちょこ青年党」…彼らの「決意」もゲームの中に溶解していく。

 争いの中で、「何もしなかったから、自分で選ばなかったから、こんなことになったんじゃないのか?よその国の言うままになっていたから」「でもアメリカの同盟国でなかったら、日本はとっくになくなっていたんじゃないか」といった台詞があった。公演日は参院選も近かったし、「選挙に行こう」「国の将来は自分たちで決めよう」的な政治的メッセージととれないこともない。でもこの物語のポイントはそこではないと思う。

 登場人物たちはバックパッカーには見えない。言葉ができないという理由で現地人との接触を躊躇したり、トラブルがあるとだれかに解決してもらおうとする姿は、バックパッカーというよりはパック旅行の客だ。そしてパック旅行客こそが「現代日本人」の典型なのではないか。他人任せ他人頼み。きれいに包装されたアイテムをメニューの中から選ぶだけ。不都合があれば、自分はそこに座ったまま、責任を取らせるべき相手を探す。

 彼らは彼らに与えられた「安全地帯」と「情報」から一歩も出ない。

 日本消滅のニュースを信じられないと言いながら、自分の目で確かめに行こうとはしない。来なくなった世話係を心配しないわけではないが、自分の目で確かめに行こうとはしない。避難所に石が投げ込まれ、手紙の詰まった袋が投げ込まれた時。どうせ罵詈雑言なんだ読みたくもないという者がいる一方、わからない文字もたくさん読めばわかるようになるかも、と必死で手紙を広げる者がいる。
 閉じられた自分の世界の中で、文字情報だけを頼りに、外部世界の情勢を知り、判断しようとする。
それは、ネットやメールに書かれた文字を通して世界のすべてを知ろうとする、すべてを知っていると思っている人たちの姿に見える(本ばかり読んでいる人でも同じことですけどね)。
そういう点で、チャットルームに集まる人たちを扱った「ふかいおもい」(南船北馬2003年の作品)を連想した。あの作品で管理人がチャットルームを閉じる理由は、ここにはもう水は湧かないから、だった。ここも砂漠の国で、水は湧かないだろう。けれど彼らが恋しがる日本の夏にも、高い湿度はあってもせせらぎの潤いはない気がする。

 狭い空間の中で、人間関係に由来する苦しみはそれなりに切実だ。恋も嫉妬もイジメもある。
本当の自信を持てない、自分を肯定できない、だから他人を肯定できない、と心理的に分析される状態を拡大して見せてくれる。未成熟な人間のエゴイズムが剥き出しになる。ただ、やはりこれは、クラスやクラブ、直接の同僚など、比較的小さく均質な集団内での人間関係だ。この人間関係に「国」という器は適当な大きさではない。

 舞台美術として、乾いた砂が落ちてきて傾きが変わる天秤があった。でも、目立たない。
きれいだしよくできているから、もっと使えばいいのにと思う。

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