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パフォーマー
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会場
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公演日
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「あたしの決めたことに、ついてらっしゃい」 まず、舞台美術ありき |
松岡永子 |
舞台には水道管が張りめぐらされている。パイプの方々に水を受ける器がついている。それらは水を受けるのに最適とはいえない物たちである。 まず舞台美術ありき、という企画。共通の舞台美術、共通のテーマ(笑う女)で三人の作家が書き、オムニバスで上演する。三者三様、それぞれ毛色の違った作品が集まって面白かった。 最初はピッコロ劇団員でもある森万紀の作品。確か報告会で、女から見て嫌な女を描きたい、と言っていた気がする。 ほとんど窓のない、列車の振動と隣の部屋の声が聞こえる部屋に引っ越してきた女。手伝ってくれる友人は、何か遠回しにあてこすりを言う。夫と彼女の仲を疑っているのだ。彼女は年下の男とつきあっている。男は彼女がとても好きなようだ。けれど彼女は男との恋愛に夢中になりきれない。 別の日、友人が上機嫌で訪ねてくる。夫の愛人から電話があったという。そのことで妻である自分の優越を感じた友人は、疑っていたことを彼女に謝る。だが、降り出した雨に傘を借りようとして、置き忘れられた夫の傘を見つける。隠されていたこと。自分でもどうにもならない、という気持ち。 どうしようもないドロドロとした感情のスケッチのような作品。枯れかけたスズランの鉢を捨てられないとか、向こうに見えるビルのクレーンをキリンだと言うとか、細やかなイメージがきれい。やや硬いムードも若い女性作家特有の感じがする。 張りめぐらされたパイプは、地下室のような無機質な感じを部屋に与える。人物の感情と連動して、パイプのあちこちから水が噴き出す。美術は心理描写の手段として使われる。 リアルな演技、というのが、日常に近い動き方・話し方を意味するなら、三つの中で最もリアルでない鈴江作品。その場にいる人が声をそろえて叫んだり、会話はドミノが倒れるようにパタパタパタと連続したり…。あるルールで統制されたゲームの中にいるようだ。ピッコロ劇団は役者の動きや発声がよく訓練されているから、その人工的な感じが際立つ。訓練されている分、早口になっても囁き声になっても聞き取りやすいし、現実の会話ではあり得ないテンポの良さが心地よい。個人的には非常に好み。 舞台は結婚式場。支配人が一組のカップルの相談を受けている。バツイチ子持ちの彼女と超甘えん坊の彼。どうしても結婚したいのだけれど、マザコンの彼は母親の許可を得ていない結婚式の申込書にハンコが押せないのだ。式の司会者役として同席させられた男は売れない役者。その収入では生活していけないのだが、出産を控えた妻には相談することができないでいる。 結婚式の予約話が右往左往しているところに女性職員が来て、現在おこなわれている結婚式を手伝うように言う。支配人は行きすぎた効率化による人手不足に憤り、だいたい建物自体が老朽化しているのに上辺だけ取り繕っているので、いつ水道管が破裂しても不思議ではない、と話す。やがて始まる水漏れ。式場の方はもっと大変なことになっている、なんとかしてよ、と言う女性職員。建物自体が悪いんだからどうしようもない、と言う支配人。 この式の間だけは乗り切ってみせる、と床に水受けの器を並べ始める女性職員。 根本的なところに問題があるんだから対症療法なんかムダだ、と傍観する支配人。 それでも並べつづける女性職員。彼女に促され、その場にいる人々が床に器を並べ始める。 並べるスピードは増してゆき、形も大きさもバラバラの器が床一面に並ぶ…。 舞台いっぱいに並んだ不統一な器が、その不統一さが美しい。 その中で世界の崩落を予感(確信?)しながら踊り続ける男。 恋愛が怖い自分を見つめないために他人の結婚の世話ばかりする男、とか、必要とされている実感が欲しくてダメ男ばかり好きになる女、とか。登場人物は鈴江作品でお馴染みのちょっと歪んだ人たち。 建物の欠陥を知りながらそのまま営業を続ける結婚式場。子どもの誕生と経済的破綻とを控えて具体的な手を打てない男。目前に迫る破滅を知りながら目を逸らし続ける。 破滅が至った時。もうだめなのにおそいのに、という囁きを聞きながら必死で足掻く。そんな人間がいじらしく描かれる。 水漏れシーンで本当に滴が落ちてくることはもちろんない。結婚式場でパイプが剥き出しになっているはずはないし、この作品でも水道管は暗示として使われているといっていいだろう。 風景としては水道管より床一面の器の方が印象的だった。お題に関しても、笑う女、というより踊り続ける男のイメージが強く残った。 ラストの内藤作品は、さすがにお題の処理もきれいだし、美術も巧く話の中に取り込んでいる。三つの作品の中で唯一、パイプをそこに実在するものとして使う。 病院。入院患者が二人、夜の散歩。男はパジャマにヘルメット、大きなリュックサックを背負っている。リュックの中には紐が入っていて、それはヘルメット頭頂の滑車を通って彼が通ってきた道の跡を残す。「だって、わたしたちは魂なんだから。初心者は紐がないと身体に戻れなくなるわよ」と、寝間着姿の少女。少女が言うには、昏睡状態の続いている身体から抜け出して歩き回っているのは、病院のあちこちにいる霊とお話しするため。話し相手がいなくて淋しくなると霊は悪戯するから。病院でちょっとしたものがなくなるのは、そのせい。 看護師が二人、男と同じ格好で現れ、少女を病室に連れ戻そうとする。同じ格好の女医も現れる。やりとりから察するに霊現象だという物の紛失はどうやら少女のしわざらしい。肉体から離れている、というのも嘘。けれど婚約指輪を紛失した女医は、魂ごっこにつきあってそれを取り戻そうとしている。 ほんものの昏睡状態患者の病室から白いネグリジェ姿の女が現れ、少女に指輪の礼を言う。少女は女医の指輪を意識のない患者の指にはめていた。ほんものの幽霊?とたじろぐ人々に、女は娘に付き添っている母親だと明かされる。しかし男の名を聞いた看護師は、その患者は意識不明のはずだと言う。本当は魂なのか、違うのか。ごちゃごちゃに絡まり合った紐をたどって元の場所に戻ればわかるはず。 昏睡状態にありながら指輪をはめると微笑む女、というのは一筋の光が射すような希望の感覚がする。 人物ごとに紐の色が違い、それがパイプによって絡み合った図はとてもきれい。その紐をくぐったり跨いだりしなくてはならないことで生じる動きも面白い。 舞台美術を使って見せること、には最も自覚的で、その分成功していると思う。
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