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人生にとって最も大切な雑用 |
西尾雅 |
91年に始まった兵庫県立芸術文化センター開館に向けてのソフト先行事業「ひょうご舞台芸術」が30本目の本作を持って有終を飾る。いよいよ来年秋に迫った開館を控え、役目を終えたわけだが、正直良心的だが小粒な印象。「GETTO」「エヴァ、帰りのない旅」「ニュルンベルク裁判」と戦争を題材にした作品で数多くの演劇賞を受賞した成果からすればややもの足りない。芸術顧問でもある山崎正和の「二十世紀」などオリジナルも上演するが、海外作品のいち早い紹介がひょうご舞台芸術の特長、本作は初演が85年で古さは否めない。評価するのは日本で紹介が遅れているカナダ演劇を取り上げた点。が、パンフによれば今年はカナダ演劇のラッシュで、そういえば同じ宮田演出の「7ストーリーズ」も記憶に新しい(03年12月)。数年来の構想を経て、絶妙のキャスティングを得た今回ようやく上演となったそうだが、出身がバラバラの役者3人の顔合わせは確かに興味深い。映画テレビ畑の野村、青年座のベテラン長谷川に東京サンシャインボーイズ出身の宮地が出ずっぱりの3人芝居。カナダは英語・フランス語圏に分れ、複雑な人種構成を抱える。その違いを役者のカラーで表現する試みは成功している。リストラで近所の老婦人宅の庭掃除を買って出たティム。わずかな稼ぎにしかならないが、ひとり住まいの彼女と打ち解けてからはその交流を大切に思う。彼女はときどき老人特有の痴呆症状を見せるが、かつてはちょっとした数学者だったらしい。いっぽうティムの妻ジネットはスーパーの苦情処理係が嫌で、夜学でコンピュータを学びスキルアップをねらう。ジネットの努力は報われ職を得るが、引越しを余儀なくされる。無意識に高速道路に飛び出す老婦人を見捨てるに忍びない夫と離れ、単身赴任すべきか迷う。「やとわれ仕事」の原題は「Odd jobs」、直訳は雑用。落葉拾いやジネットの本位でない仕事は雑用とくくられる。けれど、誰かが必要とするものだし、給料の高いコンピュータ技術がより有益ともいえない。金になる、ならないは仕事の貴賎と関係なく、ティムの仕事も福祉ボランティアとして今なら正当な評価を受けるはず。老婦人も力を借りるばかりではなく、彼に数学を教えることで張り合いを取り戻す。一方的な施しではなく、相互のコミニュケーションこそ大切。世代の差に関係なく、お互いわかっているつもりの夫婦もそれは例外でない。まったくの第三者である老婦人の同居を受け入れ、若い夫婦は新天地へ引越しする。その地に慣れた老婦人が自分で家を探すところで物語は終わるが、そこに家族の新たな理想が示される。日本でも今後ますます結婚しない単身者が増えると予想され、その参考となろう。性や年代を超えた家のシェアとか、マンションの共用ルームの拡大が考えられる。ひょうご舞台芸術が最終作品に本作を選んだのは、阪神・淡路大震災でボランティアの大切さを知ったからに違いない。その後起こった災害地でのボランティア活動は確かに評価できる。けれど、あまりにいい話過ぎると思うのは私だけだろうか。ただでさえ手狭な自宅に他人を同居させる夫婦がいるだろうのか。配偶者の親の同居すら問題が生じる現実の日本では夢物語に思えてしまう。記憶のあいまいな老人の描かれ方も美し過ぎる。抽象的な装置・照明が効果をあげる。細い枝(ツル)を毛糸のように束ねた木が1本立つ。太い幹の上に鳥の巣のような丸い枝葉がこんもりと乗る。庭の木にも、混乱する頭の中にも、あるいは絡み合った人間関係にも見えてくる。くんずほぐれつ曲がる枝の1本1本が感情や思考を伝達する神経か。無限の組合わせの解は、いかなる数学の難問より困難を極める。平日マチネのせいかもしれないが、1階ですら1/3の客入り。おそらく200人を切る集客。評判の高い「ニュルンベルク裁判」も同様。良質な作品を提供するのは立派だが、孤高な姿勢が結果、動員を少なくしたのは否定できない。
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