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女性作家によるアンソロジー 松岡永子
 40分程の作品のオムニバス。間に20分程度の休憩を挟んでの4本連続上演。アラカルトで見られるようになっているが、わたしは4本続けてみた。
 場所はフジハラビル。大正時代のビルを改装したことで有名なこの建物は、全体がギャラリーのようで、ビルの内外(外壁、屋上等にも)あちこちに、絵や造形作品その他が置かれている。常設だったギャラリーは閉じられてしまったが、オーナーが好きな作品を残しているらしい。
 今回は最上階のフロア全体を舞台として使う。

 細長いフロアの中央に応接セットが置かれ、両翼にそれぞれ木製テーブルと革張りのスチール。中央部サイドには一段上がったところにサンルーム(?)が張り出している。
 客席は壁に沿って置かれた椅子。どこに座っても死角ができ、見えないシーンがある。
けれど観客は、舞台を見ているのではなく舞台の中にいるので、直接には見えなくても起こっていることを「感じる」。

『アメリカ』日本の女性作家の短編小説の舞台化。
ある種のリーディングに近い形式で、「地の文」も台詞として語られる。
「せかいはずっと、愛であった」というフライヤーのコピー通り、どの物語にも恋愛がらみで男女が出てくる。

『溝への忘れ物』土本ひろき、谷省吾、松本喜美子
 エイミー・ベンダー作。
 戦地から唇を失って夫が戻ってくる。
妻は彼の死も覚悟していたけれど、こんな事態は予想していなかった。
 唇の部分をプラスチックの補助具で覆われた夫は、悪夢のために夜中に飛び起きる。
以前の夫はそんな人ではなかった。
 形成手術で新しい唇が作られても、それは違うのだ。ほんものの最後のキスは爆風に奪われ永遠に失われてしまった。最後のキスはわたしのものになるはずだったのに、と妻は思う。食料品店のアルバイト学生が興味を示すぐらいには、彼女は若く美しい。その大学生とキスしてみて、唇の感触を確かめてみたりもする。
 夫は確かにかえってきた。でもかえってはこなかった。
 塹壕で失われたものが何なのか、明確に言うことはできない。(それは、こちらではすべてうまくいっています、としか書けない戦地への手紙のようだ)
 妻は夫を愛している。夫も妻を愛している。
 失われてしまった「何か」は永遠に戻らない。

『豆姉妹』中道亜希、宮崎ユオリ、菊池康治、小笠原聡
 すばる文学賞受賞作家・栗田有起作。
 両親の離婚後、仲の良い姉と暮らしている女子高生のわたし。看護師だった姉は、ある日SMの女王様に転職する。義理の弟(母の再婚相手の息子)が転がり込んでくる。彼は母に恋愛感情を持ってしまったことに悩んでいる。考えようによっては深刻な状況。でも、奇妙におだやかな共同生活。
 わたしはわけもなくアフロヘアにする。昔なら反抗的だとして処罰されたであろう行為は、「みんなの前で想いを語れ」という要望や心理カウンセラー導入の検討という学校側の反応で迎えられる。現代ははっきり頭を打ち付けるようなかたさを持たない。やわらかく包みこみ呑みこむように、世界はやさしい。
 女王様の姉は、奴隷ちゃんたちが満足して満足して満足でいっぱいになってわたしを必要としなくなればいいと言う。姉は確かに人を愛しているのだ。わたしも姉に似ている。進路選択を迫られたわたしは接客業ならできると思う。人を感じるのが好きなのだ。

『私の名前を呼んで』土本ひろき、中道亜希
 エイミー・ベンダー作。
場違いに上等なドレスを着て地下鉄に乗る娘。彼女は車両にいる男たちをひそかにオーディションしている。合格した男についていくために。
 娘の亡父はちょっとした日用品(フック)発明の特許で大金を残した。娘は贅沢するのに十分な財産を持ち、自分が「何か」を与えられそうな男を物色している。
 金のなさそうな、疲れた様子の男のあとをつけ、アパートに入りこむ。
男は適当に娘の相手をし彼女を裸にもするが、何もしない。追い出すこともしない。
男の部屋にはシャツの掛かったフックがある。男は父の発明品は欲しがったくせに、娘を欲しがることはしないのだ。娘は強情に部屋に居つづける。

『幽霊の家』日和佐美香、小笠原聡
 よしもとばなな作。
 菓子作り修行のためフランス留学を決めた男友達。何年も帰ってこないことはわかっているし、もしかしたらむこうに永住するかもしれない。
 彼の家には幽霊が出るという。
「幽霊を見ない?」と誘われ、泊まる。
お互い、一夜の関係を遊びだと割り切れるような性格でないことは知っている。自分には日本でやりたいことがあるから、彼についてフランスに行ったりしないことはわかっている。彼が生き方を変えないだろうことも知っている。
 翌朝、老夫婦の幽霊を見る。おじいさんはラジオ体操をし、おばあさんはお茶をいれていた。一酸化炭素中毒事故で眠ったまま亡くなった夫婦は、自分たちが死んだことに気づかず、日常生活をつつましくつづけているのだ。
 予定通り、彼はフランスに旅立つ。
 それから。紆余曲折があって、けれど何年もしてから再開した二人は結婚することになる。それは、あの朝幽霊の老夫婦に、特別なことのない日々を積み重ねていく意味を見たからだろうと思う。

 前述した通りアラカルトで見られるが、この順番で見るのが一番だろう。最後の作品は、やさしく全体を着地させてくれる。

 サンルームやベランダを含めての役者の出入り(ベランダ等で台詞が言われることはない)、照明の点滅など細やかで繊細な演出が美しい。

 最もエレベーター企画らしく見ごたえがあるのは、ベテラン俳優陣による「溝への忘れ物」だろう。その分、最も重い。
 アメリカの小説の方が(もちろん作品の選び方によるのだろうが)、彼女たちのやりきれなさが直接的に表されている。間に挟まれた日本の小説は、毒消しのような役割も果たしている。けれど、日本の女の子の深刻になれない、だから一見ふわふわと軽やかな生き方も、その分やるせないのかもしれないなあ、と思う。
 女性作家が描く女たちは、世界に愛してもらいたいのではない、世界を愛していたいのだ。対する男の方にはその覚悟があるだろうか。

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