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パフォーマー
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会場
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公演日
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素晴らしき日々 |
松岡永子 |
ちょっと古びた狭い和室。ちゃぶ台に本箱。典型的な庶民の茶の間の風景。 今日は娘の恋人が挨拶に来る日。父親は何となく不機嫌。それを急き立てて、こぎれいな格好をさせようとする娘…昔からよくあるお話で、ストーリー展開には何の意外性もない。 「フツーでない」のはそれぞれのキャラクター。基本的にみんな「オタク」。 娘の相手が医者だときいて、宝塚風ドレスで気合いのはいった出迎え準備をしている母親。 あらゆるダイエットを趣味のように試していながら(いるから?)食べ物に尋常でない執着を示す妹。 娘自身もマンガ・アニメのオタクであり、それは恋人も同じ。 彼は四十歳になりながら母親を「ママ」と呼び、不器用で他人と巧く接することができない。 そんな息子が心配だから、と恋人の家まで付き添ってくる過保護な「ママ」。 これがよくある「オタク」話と違うのは、「オタク」であることが、孤立することではなく 他人と親しくなるきっかけであることだ。 財産目当てに息子に近づいたのではないかと疑い、金持ちであることを鼻に掛けるようなしゃべり方をしていた「ママ」が心を開くのは、相手の母親と「冬ソナ」についてマニアックな会話を交わした時。 恋人たちのなれそめも実はコミケで(外聞をはばかって内緒にしていた)、二人だけの世界に没頭して夢中で語り合う姿は徹底的にマニアック。 息子のまったく知らなかった面を見た「ママ」はショックを受け「あなたはこの子を理解してくれるのね。よろしくお願いします」と結婚を認める。娘の父親はいろんな理屈をつけて反対するが、要するに娘を手放したくないだけであり、結局はあきらめざるをえない。 これはめりさんの書いた初めての戯曲らしい。まだ、作風は確立されていないだろう。そのことをふまえて言うと、このお話に見どころは二つあったように思う。 まず、「オタク」のリアルさ。 マニアックな会話は本当にマニアックで、内容は半分もわからない。別にわかる必要もない。ただ、これは本当にマニアックな会話だ、ということだけ感じられればいい。その点、十分に合格。 彼がマンガ同人誌のボーイズラブ系作家という設定も絶妙。「オタク」の中でさえ、彼は異端だったろうと思わせる(ボーイズラブは読者も作家も女性というのが通念)。 娘の恋人に会わなければならない父親、という物語に「オタク」の設定は必要ではない。そこが 「オタク」らしいのだ。本筋に必然として伴わない「細部」の肥大・暴走こそが「オタク」的作品の特徴だと思う。それをもっと徹底させれば物語自体は崩壊するだろうが、それはそれでかまわない。ラストにオチらしいオチを作っていたが(ずっと待っていた出前の寿司が必要なくなってから届く)、きれいにまとめてしまわなくても、シュールな感覚の中に観客を放り出してしまっていい。 もう一つは女の子らしい繊細な感覚。 父と娘の、ほのぼの・しんみりした心情のやりとり。それを素直に言葉や態度に表せないもどかしさ。そんな細やかな情感にもあふれている。 だいたい、登場人物たちの「オタク」感覚が女の子のものに近い。同じ「オタク」とはいっても、男性の「オタク」には他人の知らない情報をひけらかして得意気な顔をする者が多いし、女性の「オタク」は小さなこだわりについて他人と語り合い共感して喜ぶ傾向が強い、というのがわたしの観察だ。 登場人物たちのさまざまな感情の持ち方、表現のしかたが女の子らしく、繊細。 ただし、そういう世界に突飛な細部はいらない。細かく作り込む必要はあるが、その一つ一つは目立たずさりげなく、微妙なバランスをとっていなければならない。 両立しにくいと思うこの二つをどうするのだろうか。片方だけを選ぶのか。それとも、何か両立させる方法を見つけるのか。 めりさんの次の作品をぜひ見てみたい。
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