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パフォーマー
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会場
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公演日
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ただただ楽しいコンテンポラリー・ダンス・ショウ |
栂井理依 |
数年前までよく見ていたコンテンポラリーダンスを、ひさしぶりに仮設劇場WAまで見に行く。アローダンスコミュニケーションのヤザキタケシが振付ディレクターをつとめ、総勢25人の男性ダンサーが出演する「GUYSⅢ」である。 空気を入れて膨らんだ細長いナイロン袋が、暖簾のようにぶら下がる劇場内に足を踏み入れると、4本の柱を結んでできる長方形の床スペースを舞台とし、客席がぐるりとその周辺を囲んでいる。舞台の一面には、貴賓席のソファが用意されており、この日は人気ダンサーの北村成美、やすなみずほが優雅に座っていた。まるで、暇を持て余す貴婦人のために用意された見世物のよう。私たち観客も一緒に、そのショウアップされたコンテンポラリーダンス、鍛錬された男たちの身体をご賞味させていただく。 解体屋の青年が、寝転がっている。そこへ、白く顔の長い得体の知れない男がやってくる。その男と揉み合ううちに、解体屋の青年はいつしかミラーボールを手にしていた。回り始めるミラーボール。男たちが登場する。ショウの幕開けである。 ヤザキタケシのダンスは、群衆の中にあっても、つい目を奪われる。端正な顔立ちにしなやかな身体。その動きの切れのよさ、身体の中心を軸にしなる手脚の美しさ、時に大胆、時に繊細な形で現れる独特のユーモアセンスは、関西のコンテンポラリーダンス界にあって、はなやかなものだ。しかし、彼の本領は、代表作である「スペース4.5」に見られる周囲の空気を浸食していくような身体の振動であったり、カンパニー作品で見せる、相手の動きに敏感に反応する身体の対話であったりする。今回、ヤザキのダンスを見ていて、改めて彼の存在感に気づかされた気がした。 そして、その後に続く、若きダンサーたち。それぞれが、自分たちの身体の個性を拾い上げようと汗みどろになっていたが、今回は特に、村上和司、石田陽介などが光っていた。数年前からソロダンサーとして活動している彼らだが、以前、作品を見たときには、特に何も感じなかった。しかし、数年を経て、美しく鍛えられたその身体、筋肉の重さを感じさせない切れのよい動きは、十分に存在感のあるものに変わっていた。また彼らの作品を観たいと楽しみにさせられた。 さて、ショウは12作品で構成されていたので、印象に残ったものを幾つか挙げておく。 まず、「反」。砂連尾理が振付、アローダンスコミュニケーションの佐藤健太郎と浅野泰生、三原慶祐が出演。昨夜、眠ろうとしたが蠅がうるさくて眠れず、つかまえたがまた起こされた・・・そんな語りから始まる。3人は一つの円になっており、互いの身体を使って、少しずつ様々にその形を変えていく。時に引き合い、時に反りあう。日常生活で感じる違和感が、寝づらい夜のちょっとした悪夢となって現れたような、そんな印象の作品だ。 作品の間に挿れられていた「乳首1回戦」「乳首準決勝戦」「乳首決勝戦」。片方の乳首にテープを貼り、それをとられたほうが負けという試合を通して、互いに、様々な身体の動きを見せて行く。乳首という男性にとっても無防備な場所を責められて、どんなふうに面白く動けるか、というのが見せ所なのだが、展開が予想できる上に、動きのバリエーションが少なくてちょっと残念。笑いきれなかった。 ヤザキタケシ振付の「ルルルヒユーマンケンカステップ」。セレノグラフィカの阿比留修一と、j.a.m Dance Theater の森井淳が出演。触れ合い、重なりあったときの身体の対話を大切にしながらも、のびやかで瞬間の切れの良さが必要となるヤザキの振付だが、さすがに既にカンパニーの個性を確立しつつある彼らだけあって、彼らなりの「動き」が見えた。美輪明宏のシャンソンに合わせた、二人の男の愛の歓びと哀しみ。意図的に大きい音量での過剰な感情は、泥くさく、大阪的。彼らは、敢えてその泥くささを受け止め、会場いっぱいを使ってぶつかりあい、切なく滑稽に表現した。 全編通して、70年代の歌謡曲が流れる。私は、聴いて育った世代でもないが、やたらと懐かしく耳に響くのは、男たちの汗臭い努力やプライドをかけたやせ我慢、乱暴な言葉に秘めた真実の優しさなど、今では失われつつある価値観が唄われているためか。それはそのまま、時に女装し、時にパンツ一枚で、汗みどろになって狭い舞台を走り回る男たちの身体に通じる。そして、そうした表現と言えば、学ラン姿で踊り、ももひき姿でコントをする「コンドルズ」があるが、この「GUYS」たちは、なにわのコンドルズと言ってもよいかもしれない。いずれにせよ、滑稽な男たちが滲ませる哀愁ほど、女にとって愛しいものはなく、観客にとって心奪われるものはない。 コンテンポラリーダンスと一口に言っても、幅が広い。アートがあれば、エンターテインメントもある。一貫しているのは、その身体を使って、私たちを楽しませてくれること。その可能性を見せてくれたショウだった。
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